5年後、10年後の社会

 何がどうなっていても不思議はない。それほど流動的だ。

 今よりも経済的な混乱が大きくなっているだろう。

 高齢化が進んで、少子化にも歯止めはかからない。若者たちは自分の適性に合った職業を選べずに、本来やらなくてもいいような仕事をやっている。

 大企業や省庁には自分で考える能力を持った新人が少しは入ってくるかもしれないが、旧体質を抜け出せない。つまり、ますます悪い方向へとつき進んでいるだろう。

 限られた一部のベンチャー企業が急成長することはあっても、産業構造を再構築するほどの影響力はまだない。生き残れなかった企業は消え去り、失業者は働ける場を見つけてどこへでも潜り込む。

 その時になって初めて、どんな人材が必要だったのかが分かっても、さらに十数年待たなければならない。しかも、その十数年後の社会が必要とするのは、また別の能力を持った人材だ。こんなやり方では、効率が悪いに決まっている。

 十数年後の未来をぴたりと予測できる人はいるだろうか。そんな精度の低い予測で決め打ちしたのでは駄目だ。社会がどう変化してもいいように、自分で対処できる力を育てておくことはできないものか。

 パッケージ化されたされた知のセットを与えるというメカニズムを捨て去るべきだ。「知」は必要なときに必要なだけ取り出せるようにライブラリに揃えておいて、そのアクセス手段を整備しておけばよい。

 予め待ち合わせの場所や時刻を細かく決めておかなくても携帯電話で連絡をとりながら詰めていけばいいのと同じだ。

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このページは、かみ かずしげが2003年2月23日 10:22に書いたブログ記事です。

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