茶表紙のノートの最近のブログ記事

 シリーズ物のCMで、毎週金曜午後5時半から30分間放送しているやつを子供と一緒に見ているが、なかなか面白い。商品はおもちゃなのだが、もう何種類も買わされてしまった。

 ところが、そのおもちゃが全面的にモデルチェンジしそうな雲行きになってきた。CM内のストーリーが結末を迎えるからだ。

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 昨夜のコロンボは久しぶりの佳作だった。ただ残念なのは番組開始前にナビゲーターの坂上みき(って誰?)がネタバレに近い解説をやっていたこと。いつものようにどーでもいいことを喋ってりゃいーのに。なんで水野晴郎みたいなことをするんだろうね、この人は。

 このせいで面白さは9割方失われてしまった。八つ当たりしてても仕方がないんで、PATIOに注意報をアップ。録画でこれから見る人のために。

 で、昨夜は口直しに未読の新作『奇妙な棺』を読んだ。これはピーター・フォーク原案の作品で、なかなかよろしい。古き良きコロンボ。犯人はこうでなくっちゃいけない。


〔2009/01/18: 付記〕

 短い言葉でネタバラシになるということ自体がネタバラシになるおそれがあるので、あえてタイトルは書いていない。どうしても知りたければ、放送日から調べることもできるけれども、新旧全作品を見た人以外にはお勧めできない。

 PATIOというのは、コロンボ・ファンのステさんがニフティに開設していた掲示板のことで、僕は「まるこ」というハンドル名で参加していた。

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 この世の資源が無限大であると仮定すれば、「掛け算」の論理に従って生きることは可能だろう。しかし、資源が有限だとしたら、「掛け算」は必ずいつか破綻する。

 つまり、多くの人がうすうす気付いている筈のことなのだが、「資本主義」は資源が無限であると想定し得る場合においてのみ妥当だが、実際には資源は有限なのだから、本来は成り立たないものなのである。

 人間が生産した(と称している)ものは、有形・無形を問わず、すべて有限の資源の上に立脚している。したがって、その生産物が無限に増えていくことは不可能である。

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 何がどうなっていても不思議はない。それほど流動的だ。

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 NHK教育テレビの「パパ・トールド・ミー」が、なぜしっくりこないのかについて考え込む。何かがちぐはぐなのだ。関西弁なのは別に構わない。役者も原作のイメージとはかなり違うが、そこにも目をつぶってもいい。

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 格言を作ってみようと思う。いきなりだが。

 「声を大にして言いたい」という人は、地声がすでにでかい。

 格言とはいえねーな、これは。

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【現在からのお知らせ】
 以下の内容には、ネタバラシが含まれています。未見の方は御注意下さい。なお、最近書いた記事にはネタバラシはありませんので、よろしかったら、こちらを御参照ください。
(2009/09/05)


 今日、WOWOWで放送された「虚飾のオープニング・ナイト」を見たが、典型的な新シリーズ作品。最初から「別の刑事ドラマにコロンボが出てくる」とでも思って見ないと、がっかりする。〔2004/03/21 23:45〕

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 少なくとも2回は同じ内容の学力テストを実施しなければ、それを学んだかどうかは分からない筈である。そして、まだ学んでいないことに関する学力は測定不能なのである。ジャンプ力を測定できるのはジャンプした場合に限られるのと同じ理屈だ。

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