2009年8月アーカイブ

 この城には、カレンダーもテレビもラジオも新聞もない。電話もなければネットにつながるIT機器もない。実は、伯爵の城に到着して以来、夢の中で速記文字を使ったもの以外、ジョナサンは日記を書いていない。あまりにも異常な体験をしたため、どれくらいの時間が経過したのか、ジョナサンには分からない。あのときから一ヶ月ぐらい経っているような気もするし、ほんの数日間の出来事だったようにも思える。

 ダンプティが床に広げて読んでいる“攻略本”によると、ひげ剃り中に伯爵が鏡に映らないことに気付いたのが五月八日の未明で、その夜には伯爵の戦争体験談を聞かされている。無理やり三通の手紙を書かされたのは五月十二日。しかし、伯爵がジョナサンの手紙を見て破り捨てた五月二十八日の出来事は、かなり現実とは食い違っている。おおよその見当としては、五月末から六月の頭ぐらいだろうか。

 沈思黙考していたジョナサンは、急に立ち上がった。
 「よし、飯を食おう。腹が減って何も考えられん」

 ハンプティ・ダンプティの戦利品を使ってコンビニで食糧などを買い込んで来たジョナサンは、ふとレシートを見て、飛び上がった。
 「分かったぞ!」
 レシートには、もちろん日時が印字されている。

 ジョナサンは、食堂に食べ物と飲み物を運び込み、三人で食事を摂りながら作戦会議を始めた。
 「30個の木箱を発送する日まで、まだあと一ヶ月もある。そこで考えたのだが、ここにある本を全部…」
 そのとき、外から馬の嘶きが聞こえた。窓から見下ろすと、どうやらこの城に二頭立ての馬車が到着したようだ。
 「まさか、伯爵では…!」
 慌てて窓の下に身を隠すジョナサン。一瞬、部屋の中に緊張が走ったが、ダンプティが発した一言で、張り詰めた空気が一気にゆるゆるになった。
 「今は真っ昼間だよ」

 閂を外して大扉を開けると、若い男が立っていた。
 「このたびは大変遅くなってしまって本当に申し訳ありません。弁理士のジョナサン・ハーカーです」
 これは、いよいよ面倒なことになったなと、ジョナサン(スウィフトの方)は思った。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 その瞬間、ジョナサン(スウィフトの方)は考えた。本物のジョナサン(ハーカーの方)が現われてしまったからには、計画を立て直さなくてはならない。例のロンドンの物件の話をするために来たのだろう。だったら、伯爵になりすまして契約してしまえばいいんじゃないか。ちょうど伯爵の服を着ていることだし、ロンドンに発送する荷物の箱詰めを手伝ってもらっても不自然ではないだろう。
 「わしがドラキュラじゃ…」
 そう言いかけたとき、馬車を停めに行っていた馭者が戻ってきて、ジョナサン(ハーカーの方)が紹介した。
 「こちらはヴァン・ヘルシング教授です。宿屋で足止めを食っていた私を、ここまで馬車に乗せて下さったのです」
 「あなたがドラキュラ伯爵でしたか…」
 そう言ってヘルシング教授は手に持っていた袋から何か小さな塊を取り出した。
 「では、これをどうぞお持ちください」
 ジョナサンはそれを受け取った。
 「これは何ですか?」
 「聖餅です。ところで、あなた、本当は誰ですか?」
 バレてしまっては仕方がない。ジョナサン(スウィフトの方)は、観念した。

 「すると、ドラキュラ伯爵を閉じ込めたというわけですね」
 ジョナサン(スウィフトの方)の話を聞いていたヘルシング教授は身を乗り出した。
 「どこにあるんですか、その鏡は」
 鏡のある部屋に案内されたヘルシング教授は、壁にかかっている額縁に興味を示した。
 「ほう、こんなところで『爬虫類』を目にするとは!」
 「この絵が何か…?」
 「いや、失礼。つい懐かしくて」
 ヘルシング教授は、十字架でがんじからめにされた鏡を見た。
 「なるほど。これではさすがのドラキュラも手も足も出せんでしょうな」
 このとき、ヘルシング教授はさっきの絵の上を一匹の蜘蛛が歩いているのを鏡の中に見た。ハッとして振り返ると、蜘蛛の姿はなく、絵の中のトカゲの口が動いていた。

| コメント(0) | トラックバック(1)

 唐突にヘルシング教授がオランダ語で話し始めた。
 「ところで、あなたは日本に行ったことがありますか?」
 ジョナサン(スウィフトの方)が驚いて教授を見ると、「あると答えろ」と顔に書いてあった。そこで、オランダ語で答えた。
 「もちろん、ありますとも」
 以下、教授とジョナサン(スウィフトの方)は、オランダ語で会話を続ける。
 「そうですか。あなたは、日本へ行きましたか。私はまだ行ったことがないのです。あなたは日本のどこへ行きましたか?」
 「まず、エドです。それから、ナンガサクというところに行きました」
 「そうですか…」
 ヘルシング教授は、ここで一冊の本を取り出して、ジョナサン(スウィフトの方)に渡した。
 「ナンガサクにはオランダ人がいましたか?」
 その本には鉛筆が挿んであり、ページの余白には“あの絵の中のトカゲが怪しい。絶対に、絵の方を見るな”と英語で書いてあった。以下、オランダ語の会話と英語の筆談が同時に進行する。
 「いましたよ。デジマというところに」“それは一体どういう意味ですか?”
 「デジマとはどんなところですか?」“絵の中のトカゲが、絵の外にいる蜘蛛を食った”
 「人工的な島で、建物がぎっしり並んでました」“食った?”
 「ほほう、面白い島ですね」“間違いない。あのトカゲはドラキュラ伯爵だ”
 オランダ語の会話は、このあたりから次第にでたらめになっていく。
 「まるで軍艦のように見えるので、地元の人はグンカンジマと呼んでいました」“なぜ、そう言えるんですか?”
 「そこでオランダ人は何をしていましたか?」“この絵の作者はエッシャーというオランダ人だ”
 「オランダ人は商売をやっていました。平気で踏絵を踏みながらね」“オランダ人?”
 「オランダ人が全部そうだとは限らないでしょう」“そうだ。そして、この本には、伯爵の影響を受けて蝿や蜘蛛を食う患者の話も出てくる”
 「あなたのように、ですか?」“それとオランダ人がどうつながるんですか?”
 「そうです。私は医者であるけれども、信仰を捨ててはいない」“ドラキュラ伯爵の体にはオランダ人の血も流れているに違いない”
 「しかし、踏絵を踏んでも平気な人がいるなんて…」“まあ、オランダ人の血を吸ったとすればですがね。しかし、そうだと仮定すると?”
 「まったく考えるだけで恐ろしいことですな」“つまり、十字架なんかでは封印できない!”
 「その後の戦争で、空から降ってきたピカドンにやられて、グンカンヤマは海に沈みました」“ああ、何てことだ!”
 「ピカドンとは?」“だから、この絵の中のトカゲを何とかしなくてはならん”
 「核兵器です。放射能でナンガサクはめちゃめちゃになりました」“丸ごと燃やしてしまいましょう”
 「それはひどい話だ」“君は、このような芸術作品を燃やせると思うのか?”
 「戦争が終わって、グンカンヤマトは海から引き上げられました」“では、絵の中からトカゲを引きずり出して始末すればいい”
 「それから?」“あんた、一休さんか?”
 「宇宙へ飛んで行って、放射能除去装置をもらってきました」“そうだ。真空にすればいいんだ!”
 「それはどんな機械だね?」“それは今や信仰とは無関係だな。しかし真空をどうやって作る?”
 「詳しくは分かりませんが、一種のクリーナーでしょう」“掃除機と布団圧縮袋があれば簡単に作れますよ”
 「そのために、よその星まで行くとはね…」“しかし、どうやって手に入れるんだ?”
 「古き良きSF漫画ですからね」“通販ですよ、通販!”
 「そういえば、今度実写化されるとか聞きましたが」“ここにはテレビもネットもないのに、どうやって?”
 「まったく、でたらめな話ですね」“こっちでは無理ですが、あっちの世界なら何でもあるでしょう”
 「あの主役はひどいもんです」“しかし、あっちの世界に誰が行けるというんだ?”
 「あの役ができるのは…」“ハンプティ・ダンプティですよ”
 「私には考えもつかんな」“それだ!”
 「やっぱり、僕にも想像できませんね」“さっそく行かせましょう”
 教授とジョナサン(スウィフトの方)は、鏡のある部屋から出て行った。壁にかかった絵の中のトカゲは、まだ何も気付いていないようだ。

| コメント(0) | トラックバック(1)

 ジョナサン(スウィフトの方)から話を聞いたハンプティとダンプティが、何やら小声でひそひそと相談している。

ハンプ 掃除機と布団圧縮袋だってさ
ダンプ いきなり通販で買えって言われてもな
ハンプ 面倒くさいよなあ
ダンプ ネットカフェで注文するしかないな
ハンプ ここから行くと結構遠いよね
ダンプ コンビニの端末で捜してみるか
ハンプ クレジットカードなんて持ってないけど、どうする
ダンプ 代引でいいんじゃない。金貨ならたっぷりあるし
ハンプ でも、この城にはコンセントがないぞ
ダンプ コンビニからコードを引っ張ってきて…
ハンプ そりゃまずいだろ
ダンプ そうかな?
ハンプ そうだよ。何百メートル分も延長コードを買った時点で怪しまれるって!
ダンプ じゃあ、発電機も買わなきゃな
ハンプ ガソリンなんかは通販じゃ買えないだろ
ダンプ カセットボンベなら大丈夫じゃないか
ハンプ そうだったかなあ
ダンプ もし駄目だったら、太陽光発電にすればいいか
ハンプ あれ、めちゃくちゃ高いよ
ダンプ いいじゃん。どうせ爺さんの金貨なんだし
ハンプ だめだよ、初期投資を回収するのに何十年かかると思ってるんだよ
ダンプ こういう古い城はあと何百年も残るんだから安いもんだよ
ハンプ そうかなあ。パネルの寿命はもっと短いらしいよ
ダンプ ドラキュラ城だぞ。観光収入だけでやっていけるって
ハンプ でも、あんな小汚い爺さんが出てきたら、お客さん、ガッカリするぞ
ダンプ そりゃそうだよな
ハンプ それが一番のネックなんだよ
ダンプ 人の生き血を吸わせてやれば若返るって
ハンプ そうなのか?
ダンプ 攻略本にそんなことが書いてあったよ
ハンプ そうだったのか。じゃあ、それで問題ないね
ダンプ よし、これで決まりだな

 そして、ハンプティとダンプティは城から出て行った。なんだよ、鏡の国に行かなくても何でもアリじゃないか。

| コメント(2) | トラックバック(0)

 結局、コンビニの端末では必要な品物が発注できないことが分かり、ハンプティとダンプティはそのまま戻ってきた。二人がやっぱりネットカフェまで行くしかないなとボヤいているのを聞いて、ヘルシング教授が馬車に乗せてやろうと言いだした。ハンプティとダンプティは喜んで、教授と一緒に出かけて行った。

 馬車を見送った二人のジョナサンは、城の中に戻った。
 「ここに来る途中、教授から話を伺いましたが、まだ信じられませんよ」
 ジョナサン(ハーカーの方)の困惑している顔を見て、ジョナサン(スウィフトの方)が言った。
 「いや、まったく。教授が来てくれなかったら、大変なことになるところだったよ…」
 ジョナサン(スウィフトの方)は、書斎へ行きかけたが、足を止めた。
 「でも、やっぱりその前に、とにかく何か食べよう」
 二人は食堂に入って行った。

 食事をしながら、この数日間の見聞を互いに交換し合った二人のジョナサンは、どのような手違いでこのような分裂が生じたのかは分からないけれども、今後は煩雑さを避けるために一人の人物として記述されても差し支えないだろうということで意見が一致した。
 さっそく、ジョナサンは書斎へ行って、伯爵の蔵書を礼拝堂に運び込みつつ不動産の売買契約に関する書類を整えた。鏡の中に閉じ込められているにせよ、トカゲの絵の中に潜んでいるにせよ、後で伯爵の同意は得られるだろうという読みで、あくまでも予定の行動を貫くつもりらしい。

 ヘルシング教授たちがネットカフェから帰ってきたときには、もう日が沈んでいた。ハンプティは、すぐに鏡のある部屋へ行った。ダンプティと交代で絵の中のトカゲを見張るのだと言って妙に張り切っている。教授は複雑な表情を浮かべて、何か自分の考えに浸っているようだ。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ハンプティとダンプティは絵の中のトカゲを交代で見張り続けた。毎日、蜘蛛を捕まえてきて絵の上に放ってやり、それをトカゲが食うのを見ては喜んでいる。これでは見張っているのか飼育しているのか分からないが、とにかくトカゲが絵の中にいることだけは間違いない。
 教授はネットカフェが気に入ったらしく、毎日通って調べ物をしたり、必要な品物を追加注文したりしている。
 ジョナサンは伯爵の蔵書を礼拝堂の大箱に詰め込んでいった。契約書は、伯爵の署名を入れるだけになっている。注文した商品が城に届くたびに受け取るのもジョナサンの役目だ。布団圧縮袋、掃除機、小型ガス発電機、カセットボンベ、電源コード、カセットコンロ、鉄板、ニンニク、捕虫網…。当初の予定には入っていない品物もあるが、これは教授が追加したのだろう。

 こうして、数日が過ぎ、準備はすっかり整った。

 額縁から取り出したトカゲの絵を布団圧縮袋に入れ、掃除機のホースをつなぐ。発電機を回して掃除機のスイッチを入れると、袋が萎んでトカゲの絵にぺったりと張りついた。これで、絵の中に潜んでいるトカゲは息ができなくなった筈だ。そのまましばらく掃除機のスイッチを入れたまましておいたが、トカゲは特にもがき苦しむでもなく、普通の絵のようにじっとしている。

 その場の全員が、固唾を飲んで見守っている。(ただし、トカゲを除く)

 突然、トカゲの頭が布団圧縮袋を突き破った。破れた袋が耳障りな笛の音を奏で始める。トカゲは、掃除機の吸引力に逆らって四肢に力をこめて踏みとどまっている。ダンプティは絵のそばで“攻略本”を開いて、トカゲが出て来るのを待ち構えている。トカゲは、袋にあけた穴の中からゆっくりと体を押し出してくる。トカゲの動きに呼応して、笛の音が怪しく変化する。教授はカセットコンロに点火して鉄板を乗せた。トカゲの前脚が穴の外に出てきた。教授は鉄板に油を引いた。トカゲの後脚も穴の外に出てきた。教授は捕虫網を構えている。どうやら教授はトカゲを捕えて鉄板で焼くつもりのようだな。ジョナサンはそう思いながら、伯爵が現われた場合に備えて、契約書をテーブルの上に広げている。

 次の瞬間、トカゲの尻尾が勢いよくホースの中へと吸い込まれて行った。教授は捕虫網を放り出して掃除機の電源を切った。すると、尻尾を失ったトカゲは“攻略本”を目がけて跳躍した。教授は、掃除機の蓋をあけてトカゲの尻尾を取り出した。尻尾はくねくねと動いていたが、焼いた鉄板の上に乗せると大人しくなった。ダンプティは蜥蜴が飛び込んだ“攻略本”をパタンと閉じた。教授はニンニクのみじん切りを蜥蜴の尻尾に振りかけている。どうやら教授は、トカゲの尻尾を焼いて食うつもりのようだな。ジョナサンはそう思った。

 結局、伯爵が姿を現わすことはなかった。

 トカゲの尻尾を食った教授は、ジョナサンが準備していた契約書に署名すると言い出した。ハンプティとダンプティは、トカゲを閉じ込めた“攻略本”と、“ジョナサンが書いた本”以外をロンドンに送ることに同意すると言った。

 こうして、その場の全員の利害が一致した。(ただし、トカゲを除く)

| コメント(0) | トラックバック(0)

 そりゃあ、やっぱり海ですね。夏だろうと冬だろうと、船旅の途中で嵐にあって、どこだか分からない奇妙な島にたどりつくところから面白い話が始まるんですよ。

 今回は鉄道と馬車の旅で変な城に来てしまったけど、たまにはこういうのも気分が変わっていいかもしれませんね。もうだいたい問題は解決したので、あとは早くイギリスに帰って旅行記を書きたいですよ。それに、若い婚約者も首を長くして待ってるらしいし。こりゃ楽しみだな。(笑)

コネタマ参加中: 夏に行くなら、あなたは海派? 山派?【ココログ選手権】

| コメント(0) | トラックバック(0)

 そりゃあやっぱり若い娘がええのう。白い首筋にがぶりと歯を立てたときの感触がたまらんわい。

 今はこうして鏡の中に閉じ込められおるが、今に必ずや自由の身になって人間どもの生き血を吸うてやるからな。待っておれよ。

 まあ、しばらくはわしの一部がトカゲとなって蜘蛛を食っておることで我慢するしかあるまいな…。

コネタマ参加中: あなたの“やめられない、止まらない”ことは何?【ココログ選手権】

| コメント(0) | トラックバック(0)

 そうだなあ、このあいだ会ったアリスって子は可愛かったよな。鏡の国の方だよ、不思議の国じゃなくてね。

 ああいう生意気な子が困った顔をするのをみると、ドキッとするんだよね。それを表に出したりするといろいろとマズいらしいから、ただもうひたすら不機嫌な顔をして次々に困らせてやるんだけどね。

 今はオッサンや爺さんばっかりで、ほんと、嫌になっちゃうよ。この話、早く終わんないかな…。

コネタマ参加中: ドキッとする異性のしぐさ、表情は?【ココログ選手権】

| コメント(0) | トラックバック(0)

 いやまったく、油断も隙もないとは、このことだな。

 絵の中に隠れているトカゲのやつを真空にしてやっつけようとしていた時のことだ。トカゲがパックを破って顔を出したときには、さすがに肝を冷やしたな。しかも、パックの穴からじりじりと体を押し出してきて、あとは尻尾だけというところまできた。

 その時、わしは網を構えていたんだが、トカゲの尻尾が掃除機に吸い込まれて行くのを見たときは、とっさに尻尾の方を追いかけておった。気が付いたら、掃除機の中から尻尾を取り出して、鉄板で焼いて食っておった。ニンニクで味を付けたのは正解だったな。香ばしくて、なかなか旨かったよ。

 胴体の方は本の中に逃げ込んだらしいが、ここまで来れば、あとはどうにでもできる。何といっても、わしはこれで不死身になったのだからな…。

コネタマ参加中: 思わず冷や汗をかいた経験を教えて!【ココログ選手権】

| コメント(0) | トラックバック(0)

 夏休みの宿題ですか? 当店は年中無休でやってますからねえ…。

 先にやるのも後にやるのも駄目でしょうね。まとめてやると、どうしても質が落ちてしまうでしょ?

 毎日一つずつ、その日の分だけに神経を集中して作っていく。これが当店のモットーですからね。今回は、登場人物に手伝ってもらいましたけど、こういう手抜きはもう二度とやりたくないですね。

コネタマ参加中: 夏休みの宿題、先にやる派? 後にやる派?【ココログ選手権】

| コメント(0) | トラックバック(0)

 トカゲの尻尾を食ったことで、ヘルシング教授は不死身になったようだ。正確には、ドラキュラ伯爵の一部がヘルシング教授の体内に摂り込まれたわけだが、これによって教授が吸血鬼になったのだとすると、教授の狙いがどこにあるのか全く分からない。

 そのことを本人に尋ねてみたところ、ヘルシング教授はこう言い放った。
 「狙いじゃと? そんなものはない」

 ジョナサンの手元には、ドラキュラ伯爵の署名の入った書類がある。この署名は、もちろんヘルシング教授が書いたものなのだが、伯爵本人の署名と寸分違わないというのは驚くべきことだ。契約内容は伯爵の意思に反したものではなく、名義人も伯爵本人になっているので、文書偽造にはあたらないという妙な理屈だが、実際、形式的には何ら問題はなさそうだ。

 そして、伯爵の蔵書についても、伯爵の城から伯爵名義の別荘へ移動するだけなので、窃盗ではないという理屈であるが、これは伯爵本人が現われた場合に破綻するだろう。いや、その場合には、それどころでは済まないのではないかと懸念される。

 その鍵を握っているのが、ドラキュラ城に残って“管理”するハンプティとダンプティの二人だ。彼らも、ある意味では不死身の存在であり、鏡の国にも自由に出入りできるのだから、これは適任だと認めるしかない。ただし、どんな行動をとるのか全く予想できないところが不安要因となっている。

 こういう状況で、六月三十日の朝を迎え、50個の大きな箱がツガニー人とスロヴァキア人によって予定通りに発送された。

 ハンプティとダンプティは、尻尾が元通りになったトカゲに、本の中と絵の中を行ったり来たりする芸を仕込んでいる。
 教授は、ネットで取り寄せた大量のニンニクをハンプティとダンプティに渡した。
 「これを城の周りの土地に植えて増やすんじゃぞ」
 「なるほどね、そういう手もあったか」「ドラキュラ農園のニンニクか!」
 何か違うような気もするけど、まあいいだろう。

 「じゃ、そろそろわしらも出発するか…」
 すると、ジョナサンは、慌てて書斎に入って行った。しばらくして出てきたジョナサンに教授が問いかけた。
 「何か忘れ物でもあったかね?」
 「はい。手紙を書くのをすっかり忘れてましたよ」
 このときに走り書きしたホーキンズへの手紙は、七月二十六日にミナが読むことになる筈だったが、その前にジョナサンの方が先に到着するだろう。

 こうして、この話はめでたくハッピー・エンドとなった。(ただし、伯爵を除く)

| コメント(0) | トラックバック(1)

 ロンドンに戻ったジョナサンは、ミナと結婚した。ジョナサンとミナの希望により、教会にはヘルシング教授と、ミナの幼なじみのルーシーと、その婚約者のアーサーが参列しただけで、派手なパーティなどは一切しなかったという。

 その後、ジョナサン、ミナ、ルーシー、アーサーの四人は、東ヨーロッパへの旅をした。ビストリッツの宿屋に到着したのは、あれからちょうど一年経った五月四日の夜だった。宿屋の壁には、こんなポスターが貼ってあった。

あのドラキュラ城がいよいよ一般公開!

只今オープン記念キャンペーン実施中!

世にも不思議なトカゲの曲芸!

三人の美女による妖しい壁抜けショー!

ドラキュラ伯爵の若返りの秘術!(※近日公開予定)

※御来場の方には献血に御協力をお願いしております。キャンペーン期間中は、献血して下さった方には、もれなくドラキュラ農園の男爵ニンニクを一袋プレゼント!

お問合わせ先:ヴァンプティ商会

| コメント(0) | トラックバック(1)

 彼ら四人は、ドラキュラ城に滞在して、のんびりとした日々を過ごしていた。雨に降り込められて、ドイツ語で書かれた怖い本などを読んでいたが、どうもやはり外国語ではピンと来ない。そこで、ゴダルミング卿(アーサー)が、こんなことを提案した。
 「みんなで、怖い話を書いてみましょうよ」

 そこへ、セワード医師が顔を出した。
 「皆さんお揃いで、何を考え込んでるんですか」
 ルーシーが答えた。
 「この人が、みんなで怖い話を書こうなんて言い出したものだから…」
 「なるほどね。それじゃあ、私は吸血鬼の話でも書くとするか」
 乗り気になったセワード医師は、自室に戻ってタイプライタを打ち始めた。

 セワード医師の部屋から聞こえるタイプの音は、途切れることなく続いている。
 「あの先生に、こんな才能があったとは知りませんでした」
 ルーシーがそう言うと、アーサーが心配そうな顔をした。
 「それにしても、これは尋常ではないな。ちょっと様子を見て来よう」
 数分後、彼は真っ青な顔で戻ってきた。
 「まあ、そんなに怖い話だったんですか?」
 クレアが尋ねると、バイロン卿はこう言った。
 「いや、ジャックのやつ、話なんか何も書いてなかったよ」

 ははあ、今回はこういう趣向なのかとジョナサンが思っていると、突然、ミナが天啓を受けたように立ち上がった。
 「これだわ!」
 そう言って、メアリーは一心不乱にモンスターの話を書き始めた。


【誤記訂正】(2009/08/09 20:20)
(誤)ナンシーが答えた。/ナンシーがそう言うと、

(正)ルーシーが答えた。/ルーシーがそう言うと、

人名をすり替えるネタで、元の名前を間違ってしまいました。謹んでお詫びします。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ジョナサンは、しばらく一人で考えていたが、怖い話なんか、全然思い付かない。あきらめて図書室を出ようと扉を開けると、ハンプティとダンプティが並んで立っていた。女装して、無言でこっちを見ている。ジョナサンは、そのまま扉を閉めて元の椅子に戻った。すると、いきなりジャックが飛び込んできた。目は血走り、手には斧を持っている。ジョナサンは思わず叫んだ。
 「もう、そのネタはいいですよ!」
 「何だ、もうバレてしまったのか…」
 ジャックは、残念そうな顔をしていた。
 「あんまりこのネタをやってると、モダン・ホラーの王様に呪われますよ」
 ジョナサンがこう言うと、ジャックはニヤリと笑った。
 「な、やっぱり怖いだろ?」

 「ところで、バイロン卿とクレアは?」
 「さっき出て行きましたよ。トカゲをもう一回見ようとか言って」
 「メアリーは?」
 「自分の部屋で何か書いてるようです」
 「そうか。君しか残っていなかったとはな…」
 「ハンプティとダンプティに女装させたのも無駄になりましたね」
 すると、ポリドリは怪訝そうな表情を浮かべた。
 「それは一体、何のことだ?」
 結局、あの二人が一番怖いというオチなのか、とジョナサンは思った。しかし、本当に怖いオチは、この後に待ち構えている。

 その夜、ジョナサンは、メアリーが書きかけている怖い話を読んでみた。

 ロバート・ウォルトンという海洋冒険家が、ロンドンからはるばるロシアまでやって来た。彼は、北極探検の夢を実現させようとしているのだ。ペテルブルクからアルハンゲルスクへ行き、そこで船を借りたり乗組員を雇ったりして準備万端整えて、北極海に向けて出航した。
 ところで、その頃、ペテルブルクの街には異様な怪物が出現していた。それは、人間の鼻のような姿をした巨大なモンスターだった。そのモンスターは馬車に乗ってアルハンゲルスクへと続く街道を物凄いスピードで走って行った。その馬車を必死で追いかけている一人の男がいた。その男の顔には鼻がなかった。
 ウォルトンの船が流氷に取り囲まれて身動きできなくなっていたとき、猛スピードの犬橇が氷原を駆け抜けていった。その犬橇に乗っていたのは例のモンスターだ。翌朝、同じような犬橇が大きな流氷に乗って流れ着いた。その犬橇に乗っていたのは、例の鼻のない男だった。救出して名前を尋ねると、その男は、コワリョフだと名乗った。

 これは怖い話じゃなくて、コワリョフの話だよな、とジョナサンは思った。この程度のネタをオチに持ってくる作者の安易な発想が怖い。
 しかし、この後ジョナサンの身に降りかかる不幸な出来事を、まだ誰も予想すらしていなかった。(ただし、作者を除く含む)


【修正】(2009/08/11)
この話の続きが予想外の展開になったので、本文の一部を以下のように修正しました。

(ただし、作者を除く)→(ただし、作者を含む)

| コメント(0) | トラックバック(0)

 メアリーの書きかけの小説を読んだ夜、ジョナサンはなかなか眠れなかった。目を閉じてベッドに横たわっていると、何やら言い争っている女たちの声が聞こえた。
 「何様のつもり?」
 「ジョナサンの奥様よ」
 ジョナサンには、その声の主が誰なのか分からない。
 「へえ、そう…」
 もう一人の女が笑った。やはり誰なのか分からない。
 「何がおかしいのよ」
 「彼の奥様だから、あんなに上手な“お話”が書けたわけ?」
 ジョナサンには誰なのか分からない別の女の声が割り込んだ。
 「それ、どういう意味よ?」
 「あんたたち、本当のジョナサンを知らないんだ…」
 「知ってるわよ」
 「『ガリバー』しか読んだことないくせに」
 「はあ?」
 「ガリバーって何?」
 「ほら、やっぱり」
 勝ち誇ったような女の声はどこかで聞いたような気もするが、ジョナサンにはやっぱり誰なのか分からない。
 「ジョナサンの――をいただけるのは、どうやらこの私だけのようね」
 「何ですって!」
 ジョナサンが目を開けると、女たちの姿はなかった。そして、ジョナサンは巨大な鼻になっていたのだが、そのことに彼自身はまだ気付いていない。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 女たちの言い争いについて考えを巡らせているうちに、ジョナサンは眠っていたらしい。その余韻が目覚めた後も続いていたが、本当に女たちの声が聞こえていたのか、夢だったのか、あるいは幻聴だったのか、もう分からなくなっている。

 妙に頭が重い。どうやら風邪を引いたようだ。鼻の奥がむずむずしてきた。大きなくしゃみを一つしたジョナサンは、その勢いでベッドから転げ落ち、顔面を床に打ちつけた。痺れた鼻から、温かいものが溢れ出した。

 鼻血だ。

 しかし、手足の感覚がなくなってしまって身動きできない。しばらくそのままうずくまっていたジョナサンは、異様な冷たさを鼻に感じた。これは床じゃなくて、氷ではないか。このままでは凍え死ぬかもしれない。これはまずい。

 助けを呼ぼうとしたが、声が出ない。口があるのかどうかも分からない。何も見えず、何も聞こえない。鼻の表面の感覚は麻痺している。鼻の内側に、流れ出る血の匂いと感触があるだけだ。凍死する前に、失血死してしまいそうだ。これはまずい。本当にやばい。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ジョナサンは氷の上で鼻血を流しながら薄れていく意識の中でメアリーが書いている話の続きを読んだ。

 鼻の怪物を追いかけていた男の過去が語られている。そうか。俺はこの鼻の怪物になっていたのか。道理で鼻以外の感覚がないわけだ。この怪物は確か犬橇に乗って北極方面に逃げていたんだよな。過去なんか語っていないで早く追い付いてくれないと、俺は氷の上で鼻血を流しながら死んでしまうことになるぞ。
 さらに続きを読むと、この男は自分の幼い弟を絞殺したのは鼻の怪物だと思い込んでいるようだ。それで必死になって追いかけていたわけだ。そうすると、この男に追い付かれても助けられる見込みはない。このままではやっぱりまずい。

 ジョナサンはメアリーの話を改変しようかと思った。しかし、紙の上に書いたことがそのまま現実になったり頭の中の夢や妄想が実体化したりするだけでは面白くない。かといって作者を監禁して話を変えるように脅迫するのも能がない。このまま冷凍保存されていつの日か発掘されるのを待つというのもありがちな話だし、突如宇宙からやってきた知的生命体に救助されるなんていうのも御都合主義だ。何かうまい解決法はないものだろうか。

 そこへ昨夜言い争いをしていた女の一人がやってきた。そしてジョナサンの鼻にストローを挿し込んで血を吸い始めた。誰の血を吸ったのか分からない牙で首筋に咬みつかれるよりも衛生的で安心だ。こんなときにわざわざ言うほどのことでもないが、たぶん吸い方は伯爵に教わったのだろう。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 女吸血鬼の体内に吸収されたジョナサンの血によって、もはやジョナサンは氷の上で血を流している鼻の怪物ではなく、自室のベッドに横たわるジョナサンとなった。メアリーが書いている話の中に登場する犬橇に乗って鼻の怪物を追いかけていた鼻をなくした男は、だから鼻の怪物を見失うことになったのだ。その後、鼻をなくした男の鼻は、なくなったときと同様、これといった理由もなく唐突に元に戻ることになる。そしてメアリーは、それまで書いていた話が気に入らず、すべて破棄した。

 ある日、ジョナサンとゴダルミング卿が、麺類に電気ショックを与えると電気的な反応があったという、ある分野では有名な実験(*)について語っていた。
 「麺類に生命が宿って知能が芽生えたとしたら、どうする?」
 「初歩的な数学の問題ぐらいは解いてほしいね」
 「問題は、どうやって麺類に鉛筆を持たせるかだな」
 「麺だけじゃ無理だろう。肉や骨も入れてやらなきゃ」
 「それと目玉もあった方がいいね」

 それを聞いていたミナが、突然、天啓を受けたように立ち上がった。
 「これだわ!」
 そう叫んで、メアリーは一心不乱にモンスターの話を書き始めた。


(*)「科学情報 ウドン・スパゲティ」(吉村文庫)。本日、都内某所で販売されるブルーレイ版にも収録されています。

| コメント(0) | トラックバック(1)

 メアリーは、パスタを素材にして人工知能を作る男の話を書き始めた。当然これはスパゲティ・プログラムとなるわけだが、とにかく正常に動作さえすれば文芸的にはどうでもいいことだ。ここでは、チューリング・テストにパスするレベルに仕上げるためには、マカロニを適度に混ぜてトンネル効果を最大限に引き出す必要があったと書くにとどめておく。
 あとはこれに肉体を与えてやるだけだ。さて、肉とか骨とか目玉なんかはどうやって手に入れたらいいだろう…。やっぱり真夜中の墓場へ行って、こっそり死体を掘り出すしかないのか? いまどき、そんな古典的な筋書きで怖がる人なんているんだろうか?

 メアリーは考えあぐねてジョナサンに相談した。ジョナサンは、また自分の身に災難が降りかかってはたまらないと思った。そこで、第一稿の中で死なせた少年を再登場させてはどうかと、苦し紛れの思い付きを言ってみた。すると、意外なことにメアリーは気に入ったようだ。ジョナサンは調子に乗って、後付けの理屈を並べたてていく。
 「こうすれば外見の醜さによって生じるB級ホラーっぽい感じを回避できるだろう?」
 「なるほど」
 「そうだ。その少年は死の直前まで笑っていたことにするといい」
 ジョナサンには、どうやら少年の姿が見えてきたようだ。
 「アイスクリームなんか食べながら道を歩いているところを、突然…」
 「モンスターに襲われる、とか?」
 「いや、そのモンスターはまだいないだろ」
 「ああ、そうだったわ」
 「突然、小型トラックにはねられて、脳死状態になる」
 「それじゃ何だか普通の話っぽくない?」
 ジョナサンは、別のパターンをいくつか考えてみたが、どれもこれも不自然な死に方になってしまうように感じた。
 「そこは普通でいいんだ」
 ジョナサンが自信ありげに断言したので、メアリーは黙って聞いていた。
 「その少年の兄が、実はマッド・サイエンティストで、死んだ弟を蘇らせるために人工知能プログラムを移植する」
 結局、よくあるパターンになってしまったなとジョナサンは思ったが、なぜかメアリーは乗り気になっている。
 「つまり、見かけは天使のような子供で、中身は…、悪魔?」
 「いやいや、そうじゃない。中身は、ただのもつれたスパゲティだ」
 「それ、いただき!」
 メアリーが勢いよく図書室から飛び出すと、廊下ではハンプティとダンプティが仮面とマリオネットを使って遊んでいた。それが何の一発ギャグなのか、メアリーには分からなかった。

 こんなことでいいのだろうかと思わないでもないが、だいたいこれを書いてる作者の頭の中は、いつもこんな感じなのだから仕方がない。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 メアリーは、少年の死体が温かいうちにと急いで話を書き始めた。

 昔、昔、あるところに、心優しく見た目も美しい天使のような少年がいました。実は、この少年の頭の中には脳味噌のかわりに、こんがらがったパスタが詰まっているのですが、少年の家族にはそのことは内緒です。

 これを読んだジョナサンは、なぜ小型トラックやアイスクリームやマッド・サイエンティストの兄を使わなかったのだろうと思った。

 少年には両親と兄がいました。兄は難しい病気にかかっていたので、両親はもう助からないものと思い、少年を可愛がってくれました。ところが兄の病気が治ったとたん、両親は兄を可愛がるようになりました。

 おやおや、これはどこかで見たような話だぞ、とジョナサンは思った。

 ある冬のこと、少年は家族と一緒に山奥のホテルに行きました。雪に閉ざされたホテルの中で、父親はなぜか次第に恐ろしい存在になっていきました。そこで、少年は森の中へと逃げ出しました。

 これも何だかどこかで読んだような話だな、とジョナサンは思った。

 森の中には、少年の本当の生みの親のマッド・サイエンティストが住んでいました。少年の話を聞いたマッド・サイエンティストは、少年の母親の髪の毛からクローン人間を作って、新開発の蟹味噌を入れてやりました。こうしてパスタ脳の少年と蟹味噌脳の母親は、いつまでも幸せに暮らしました。

 やっとマッド・サイエンティストが登場したかと思ったら、この結末はひどい。せめて、母子の幸せが続くのは蟹味噌が腐るまでに限定すべきだろう。いや、母親の記憶が何の説明もなく蟹味噌に転写されているところがどうも気になるぞ。こんな穴だらけの話で感動の涙を誘えるなんて考えるのはどうかしている。それに、そもそも怖い話を書こうとしていたのではなかったのか?

 ジョナサンはメアリーにそう話した。するとメアリーは、こう言い返した。
 「じゃあ、あなたが自分で書けば?」
 確かにそれは、もっともな話だな、とジョナサンは思った。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ジョナサンは、メアリーに話した設定で、怖い話を書き始めた。

 少年が笑いながら歩き、歩きながらアイスクリームを食べ、アイスクリームを食べながら笑っていた。そこへ小型トラックが音もなく突っ込んできた。少年は笑いながらはねとばされ、はねとばされながら笑い、笑いながら脳死状態になった。少年は笑いながら生命維持装置によって生き、生命維持装置によって生きながら眠り、眠りながら死んだも同然の姿となり、死んだも同然の姿となりながら笑っていた。

 そのとき少年の兄は某国某所で笑いながら人工知能の研究をし、人工知能の研究をしながら笑っているマッド・サイエンティストだった。少年が笑いながら死んだも同然になったという知らせを聞いた少年の兄が笑いながら帰郷したとき、町の人々は何だか妙によそよそしい態度で彼を迎えた。

 少年の兄は笑いながら弟を見舞い、弟を見舞いながらパスタを茹で、パスタを茹でながら弟の頭を切り開き、弟の頭を切り開きながらアイスクリームを食べ、アイスクリームを食べながら弟の頭にパスタを詰め込み、弟の頭にパスタを詰め込みながら弟の頭を閉じ、弟の頭を閉じながら笑った。

 笑いながら死んだも同然の姿になっていた少年が笑いながら目を覚まし、目を覚ましながらアイスクリームを食べ、アイスクリームを笑べながら歩き、歩きながら笑い始めた。このときから町中の人々に、次々と異変が起き始める。

 小型トラックを運転していた男が、まず、小型トラックを運転しながら時々笑うようになった。次に、笑いながら時々アイスクリームを食べるようになり、さらに、アイスクリームを食べながら時々歩くようになり、ついには、歩きながら時々小型トラックを運転するようになってしまった。

 男が歩きながら小型トラックを運転し、小型トラックを運転しながら笑っていると、図書館の司書が笑いながら本を読み、本を読みながら歩いていた。その背後から小型トラックが音もなく突っ込んで来た。図書館の司書は笑いながらはねとばされ、笑いながら目覚めた少年の兄が笑いながら頭にパスタを詰め込むと、図書館の司書は笑いながら目を覚ました。

 図書館の司書が笑いながら本を読み、本を食べながら歩いていると、薬局の主人が笑いながらコンドームの大箱を出し、コンドームの大箱を食べながら笑っていた。その背後から図書館の司書が音もなく突っ込んで来た。薬局の主人は笑いながらはねとばされ、コンドームが笑いながらどこかへ飛んで行き、薬局の主人は笑いながら目を覚ました。

 コンドームが笑いながら空を飛び、空を飛びながらアンナが裸で笑っていると、その背後から笑いながらリチャードが突っ込んで来た。トーマスはアンナの乳房を捉えながら乳首を拇指で乱暴に揉みしだき、乳首を拇指で乱暴に揉みしだきながら痛めつけ、痛めつけながらアンナを犯し、アンナを犯しながら殺し、殺しながら逃げた。アンナはトーマスの下で揺れながらうなずき、うなずきながら喋り、喋りながら腰を動かした。リチャードが散弾銃をぶっぱなそうとすると、アンナが制止した。
 「第一章では、それより先へは行かないわよ」
 コンドームはトラックに轢き潰されてぺちゃんこになり、それを聞いたリチャードは小便をちびった。

 それから二十年…。

 町に住む人々は、みんな笑いながらパスタ脳になり、パスタ脳になりながら笑っていた。第二章がいつ書かれるのかだって? そんなことは誰も知らないよ。

原典:『死者の書』(ジョナサン・キャロル 著/浅羽莢子 訳/創元推理文庫)

 メアリーは、これを読んだ夜、笑いながら死んだも同然になり、死んだも同然になりながら頭の中にパスタが詰め込まれていくのを感じていた。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 翌朝、メアリーはくしゃみをした。すると、鼻からパスタが飛び出した。メアリーはパスタを食べながら昨夜のことを考えた。昨夜はパスタなんて食べなかった。今はパスタを食べている。それがどうしたというのだろう。頭の中でもやもやしていたものが少しすっきりしてきた。メアリーは笑いながらパスタを食べ、パスタを食べながら怖い話を書き始めた。

 真夜中の墓地。ヴィクター・フランケンシュタインは、死んだ弟の墓を掘り返していた。ウィリアムを生き返らせる方法を知りながら、何もせずにはいられなかった。
 墓地の近くに荒れ果てた小屋がある。ヴィクターは、昨日のうちに実験器具一式を運び込んで、その小屋を実験室にしておいた。
 ヴィクターは、ウィリアムの死体を実験室の寝台の上に横たわらせた。きれいな死体だ。これなら蘇生させても、あのような醜い怪物になることはないだろう。ヴィクターは作業にとりかかった。

 それから数時間後、ウィリアムは蘇った。目を開き、ぼんやりとヴィクターの顔を見ている。意識はあるようだが、ヴィクターが何度呼びかけても反応はない。あの醜い怪物のときと同じだ。いや、しかし、ウィリアムならもしかすると…。そう思ったヴィクターは、もう一度、ウィリアムの名前を呼んでみた。すると、ウィリアムはにっこりと微笑んだ。

 そのとき、ドアを叩く音がした。ヴィクターは寝台に横たわっているウィリアムにシーツをかぶせて、カーテンの陰から外の様子を伺った。ドアの外には、醜い怪物が立っていた。
 ドアの外から醜い怪物の声が響いてきた。
 「早く開けろ。そこにいるのは分かっている」
 ヴィクターはしばらく無言でドアの前に立って聞き耳を立てていた。
 「おまえが開けなければ、おれが開けるぞ」
 ヴィクターが思い切ってドアを開けると、体当たりしようと助走していた醜い怪物が物凄い勢いで踊り込んできた。突き当たりの壁に突き当たった醜い怪物は首をぐるりと回し、背後にいるヴィクターの目を見て、口の片側の端の方をぐっと引き上げた(その場にいない人には、笑っているように見えるかもしれない)。そして、こう言った。
 「おまえ、わざとやっただろ」

 醜い怪物は、ウィリアムの蘇生を知って喜んだ。ぜひ一緒に暮らしたいとヴィクターに申し出た。ヴィクターは気が進まなかったが、ウィリアムが蘇生したことを家族に何と言って説明すればいいのか分からずに困っていたので、醜い怪物にウィリアムを預けることにした。

 ウィリアム殺害の罪を着せられて、とうとうジュスティーヌが処刑されてしまった。それを知った醜い怪物は、新しい家族を歓迎すると言った。ヴィクターは、醜い怪物に言われた通りに、ジュスティーヌの死体を掘り出して蘇らせた。こうする以外に、ヴィクターに何ができただろうか?

 醜い怪物は、これまで、この粗末な小屋で暮らしてきたが、ジュスティーヌが家族に加わるのなら、ちゃんとした家が必要だと言い出した。森の中にちょうどいい空き家があると言われて、ヴィクターはそれを買い取って醜い怪物に与えた。

 こうして、醜い怪物とウィリアムとジュスティーヌは、以前は盲目の老人たちが住んでいた家に移り住んだ。ウィリアムもジュスティーヌも、生きていたときの記憶をすっかり失っており、言葉さえも喋れなくなっていた。醜い怪物は根気よく、二人の身の回りの世話をしながら、言葉を教えてやった。

 ここまで書いて、メアリーはくしゃみをした。すると、鼻からパスタが飛び出した。メアリーは笑いながらパスタを食べた。だから、何?

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ヴィクターは、ウィリアムとジュスティーヌを蘇生させたことが果たして正しいことだったのだろうかと思い悩んでいた。

 ある日、いきなり現われた醜い怪物が、ヴィクターにこう言った。
 「悩んでいても仕方がない。自分がしたことの結果を、自分の目で確かめることだな」
 醜い怪物は、ヴィクターを森の中の小屋に連れて行った。ヴィクターは知らなかったが、そこはかつて醜い怪物が盲目の老人たちの家族を覗き見していた場所だった。ヴィクターは、その小屋の中から醜い怪物たちの暮らしぶりを覗き見た。

 醜い怪物は、朝早くから起きて、薪を割り、水を汲み、火をおこし、煮炊きをし、ウィリアムとジュスティーヌに食事をさせた。食事が終わると、三人の家族は外に出てきた。ウィリアムは篭を背負って家の近く木の実や野草を集め始めた。ジュスティーヌは袋を担いでどこかへ歩いて行った。そして、醜い怪物が、ヴィクターのいる小屋にやってきた。

 「あんたに一つ頼みがある」
 「何だ?」
 「あの二人の服と靴を持ってきてほしい」
 「分かった。明日にでも持ってきてやろう」
 「できれば今すぐ持ってきてほしいんだが…」
 「なぜ、そんなに急ぐ?」
 「あんた、あの二人が裸足だったことに気付かなかったのか?」
 「え? そうだったのか?」
 「おいおい、何をぼんやりしてたんだ。もしかして、あんた、二人とも裸だったことにも気付いてないんじゃなかろうな?」
 「えーっ? 本当に?」
 「しっかりしてくれよ。服が一着ずつしかないから、洗濯する間はみんな裸なんだよ」
 「分かった。すぐに持って来るから、ここで待っていろ」
 ヴィクターが小屋から出ようとすると、醜い怪物が呼び止めた。
 「それから、もう一つ」
 「ほかにも何か…?」
 「いや、そうじゃない。そろそろ、おれのことを“醜い怪物”と言うのをやめてくれないか」
 ヴィクターは答えることができなかった。

 要するに、ヴィクターが閉じこもって悩んでいる間に、彼らは、極貧の生活を送っていたわけだ。今までずっと、やつがウィリアムを殺したのだと思い込んでいたが、そうではなかったのかもしれない。そんなことを考えながら、ヴィクターは家に帰った。幸い、家には誰もいなかった。ヴィクターは急いでウィリアムとジュステーヌの部屋から靴や衣類などを持ち出した。

 荷物を抱えて森の中へと入って行くヴィクターの姿を、遠くから誰かが見ていた。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 ヴィクターは、ジュスティーヌとウィリアムを捜し出して、服を着せ、靴を履かせた。二人ともとても喜んだが、ヴィクターのことを何一つ覚えていないことが寂しい気がした。そこで、家へ連れて帰った。何か思い出すのではないかと思ったのだ。

 ここでみんな一緒に暮らしていたことを話して聞かせたが、二人はまるでおとぎ話を聞いているような顔をしていた。一度失われた記憶を取り戻すことはできないのだろうか…。ヴィクターはそう考えて、あきらめかけていた。そこへ、一人の男が訪ねてきた。

 それは、ジョナサンだった。
 「あの怪物に騙されてはいけない」
 「あなたは一体誰なんですか?」
 「君たちを遠くから見守っていた者だ。みんな、早く逃げるんだ」
 「どこへ?」
 「今は時間がない。とりあえず酒場へ行こう」
 「酒場?」

 店主が困った顔をしている。
 「ここは、お人好しのオヤジがやってるマジックバーじゃないんだけど」
 「とりあえず、ここしか思い付かなかったんで…」
 「で、御注文は?」
 「そうだな、『死者の書』を一冊」
 「あいにく、あの本はもう図書館に返しちゃいましたよ」
 「えーっ?」
 「そんな顔しないで。また借りてくりゃいいんでしょ…」
 店主は出て行った。

 ジョナサンは、ヴィクターに言った。
 「あの怪物は、君の大切な人たちの命を狙っている」
 「何ですって?」
 「そうやって、パスタ脳の仲間を増やそうと企んでいるんだ」
 「ああ、何てことだ!」
 「君たちさえ姿を消してしまえば、やつには何もできない」
 「でも、それでは…」
 「大丈夫だ。君がいなければ、君の大切な人を殺すことには何の意味もなくなるんだ」
 「でも、あいつはどこまでも追いかけて来るのでは?」
 ジョナサンは、自信たっぷりに、こう言った。
 「君たちには、まず名前を変えてもらおう」
 ジョナサン・キャロルは、ヴィクター・フランケンシュタインにこう言った。
 「君は今日から、フランクだ。マルティン・フランク」
 無理やりこじつけたな。
 「ジュステーヌは、アンネ・フランク…」
 おいおい、それは違うだろ。
 「あれ? アンヌだったかな…」
 それも違うって。
 「アンナ・フランス。マーシャル・フランスの娘だ」
 やっぱり、そうなるよね。
 「そして、行き先は、新大陸アメリカだ」
 ウィリアムの名前は…?

 そこへ、店主が帰ってきた。
 「いやあ、何故か分からんけど、あの本は貸し出し中だったよ」
 「えーっ!」
 「その代わりに、これを借りてきたんだけど…」
 それは、こんな書き出しの本だった。

(カ)の人の眠りは、徐(シズ)かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。

『死者の書 身毒丸』(折口信夫 著/中公文庫)

 そんなわけで、酒場の奥で作者が頭をかかえている。
 「いくら何でも、無理だよ、これは…」

| コメント(0) | トラックバック(0)

 無名の怪物は、以前と変わらず毎朝早起きをして、薪を割ったり木の実を拾ったり煮炊きをしたり洗濯をしたりしながら、二人の家族が帰って来るのを笑いながら待っていた。その様子を酒場の奥で見ていた作者が言った。
 「そろそろウィリアムたちを帰してやった方がいいんじゃないか?」
 ジョナサンがそれに答える。
 「そうかな。あの怪物は、絶対何か企んでいるはずだ」
 「なぜそう思うんだ?」
 「ヴィクターの父親と婚約者が行方不明じゃないか」
 「うーむ…」
 「実は、もう殺されてるのかもしれないぞ」
 「あの怪物が殺したという証拠がどこにあるんだ?」
 「証拠はないが…」
 「ウィリアムを殺したのも別人じゃないのか?」
 「あんな罪もない幼い子供を、ほかの誰が殺すというんだ」
 「世の中には、いろんな人間がいるからな」
 「あんた、話の続きを書くのが面倒になったんじゃないのか?」
 「そんなことはない」
 そのころ、ヴィクターの父親と婚約者は、アムステルダムに匿われていた。二人の身に危険が迫っていることを察知したヘルシング教授が密かに連れ去ったのだ。それを聞いたジョナサンが言った。
 「やはりあの怪物に命を狙われていたんだな」
 すると、ヘルシング教授が現われた。
 「それは違いますよ。ウィリアムの首筋をよく見てみなさい」
 店主がウィリアムの首筋を見た。
 「可哀想に、手で締められた痕が残っているな」
 「そのほかに何か傷痕がありませんか」
 「あっ、こんなところに咬まれた痕が」
 「犯人は、ドラキュラ伯爵だったのか!」
 「いや、君の鼻血を吸っていた吸血女ですよ」
 「それじゃ、あの怪物は…」
 「もちろん犯人ではありません。パスタ脳というだけで疑ってはいけませんな」
 「よし、その線で行こう」
 こうして、無名の怪物の容疑は晴れた。しかし、カウンターに座って黙々と原稿を書いていたマーシャル・フランス(またの名をマルティン・フランク、本名ヴィクター・フランケンシュタイン)が言った。
 「それじゃ、これから僕はどうすればいいんですか?」
 「うーむ…」
 作者はくしゃみをした。すると、鼻からパスタが出てきた。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 もう何が何だか、あちこち穴だらけになってきた。決壊する前に手早く修復してしまおう。

 ジョナサンとヴィクターはアムステルダムへ飛んだ。教授に教えられた住所を頼りに訪ねていくと、色とりどりのチューリップ畑に囲まれた教会風の建物があった。ヘルシング教授が開発したという新品種のチューリップは、ニンニクの匂いがした。明るい部屋で父とエリザベスが元気に暮らしていた。その姿を見て、ヴィクターは久し振りに心が晴れていくのを感じていた。
 ジョナサンの勧めで、三人は新大陸へ移住することになった。もう一人の弟と、親友を呼び寄せて、彼らは旅立って行った。ヴィクターはウィリアムとジュスティーヌのことを誰にも口外すまいと誓っていた。本当に生きている人間の方が大事だと気付いたのだろう。

 ヘルシング教授は、ウィリアムとジュスティーヌを無名の怪物の家に連れて行った。無名の怪物は大いに喜び、教授に感謝した。こうして三人は、以前と同じように笑いながら慎ましく暮らしている。
 時おり、教授から届けられる大きな荷物には生活必需品が詰まっていた。その中には毎回必ず何冊もの書物が含まれていて、ウィリアムとジュスティーヌは夢中になって読んだ。

 ジョナサンがアムステルダムから帰って来ると、メアリーが尋ねた。
 「街を守った少年の像を見た?」
 「そんな暇はなかったよ」
 なぜかメアリーはがっかりしていたようだったが、書き上げた怪物の物語を持って来た。ジョナサンはそれを読んで、よくもこんな救いようのない悲惨な話が書けるもんだと感心した。その物語を読み終えると、メアリーは憑物がおちたように元のミナに戻った。

 それから一年ほど経ったとき、ゴダルミング卿(アーサー)とルーシーが盛大な結婚式を挙げた。もちろん、ジョナサンとミナも招待され、懐かしい顔が揃った。
 ハンプティとダンプティは相変わらず何を考えているのかよく分からなかったが、ドラキュラ城は繁盛しているようだ。教授が作った新品種のチューリップも人気商品だそうだ。
 精神科医のジャック・セワードは、本業の傍ら、ドラキュラ城のアトラクションの企画にも精を出しているという。怖い話のモデルには事欠かないのだろう。
 残念ながらヘルシング教授は欠席だった。セワード医師の話によると、ウィリアムとジュスティーヌが独立して、あの無名の怪物が教授の助手として働くようになったそうだ。

 これで、堤防にあいた穴は全部塞いだと思うけれど、どうだろう?

 そうそう、一つ忘れていた。ジョナサンの鼻血を吸い、ウィリアムを絞殺した女吸血鬼のその後の行方は、ヘルシング教授が追跡している。こっちの方は、これで心配ない。強力な助手もいるし、何といっても教授自身が不死身なのだから。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 最初に刑事が登場する。これは倒叙ミステリをもう一度ひっくり返した登場ミステリなのである。ちなみに、この刑事は諸般の事情により胴長短足の犬の姿をしている。

 現場に入ろうとした胴長短足の犬刑事は、いつものように玄関先でもたついている。口にくわえていたビーフジャーキーを落としてしまい、這いつくばって捜しているのだった。
 「ああ、あった、あった」
 やっと見つけたビーフジャーキーのすぐ近くに、何やら臭い物がある。犬刑事はくんくん匂いを嗅いで顔をしかめた。
 「こりゃ、うんこだな。ビーフジャーキーにくっつかなくてよかったよ」

 「今回のホトケさんは猿ですか…。で、死因は?」
 犬刑事は死体を見て、近くにいた検死官に尋ねた。
 「後頭部に瘤ができてるが、それは致命傷じゃない。司法解剖しないと確かなことは言えんが、たぶん内蔵破裂だろうな。ほら、肋骨が折れてるだろ」
 しかし、犬刑事は、猿の足を見ていた。
 「おや? うんこがついてるぞ」
 「玄関先のうんこを踏んで、滑って転んだんだろうな」
 「それで頭に瘤ができた、と?」
 「たぶんね」
 「しかし、転んだだけで肋骨が折れたり内蔵破裂したりするものかな?」
 「いや。普通の転び方では考えられんね」
 「そうだよねえ…。交通事故の線は?」
 「室内だし、タイヤ痕もない。おそらく何か重い物の下敷きになったんだろうが…」
 「重い物なんて、ここにはなかったんだろ?」
 「その通り」
 「じゃ、誰かが持ち去ったか、それとも…」
 「それとも、何だい?」
 「重い物が自分で立ち去ったか。どっちにしろ、単純な事故じゃないね」
 「まあ、そういうことだね。玄関先から、ここまで引きずったうんこの跡もあるし」
 「あっ、ほんとだ」
 「あんたもそろそろ眼鏡をかけたらどうだい?」
 「いやあ、かみさんが眼鏡は似合わないって言うんでね…」

 「おや、おでこのところが赤くなってるね」
 犬刑事がそういうと、検死官は天眼鏡で猿の額を調べた。
 「転んだときにぶつけのかな…。念のために大写しで撮っておこう」
 検死官は一眼レフを取り出して接写した。
 「そのカメラ、デジタルじゃないね」
 「うちらはみんな昔ながらのフィルム式だよ。デジタル写真じゃ法廷で証拠能力が疑問視されるからな」
 「へえ、そうだったの!」
 「あんた何年刑事やってるんだよ」

 「それに、顔のあちこちに赤いブツブツもあるよ」
 「ふむ…。虫刺されのようだな」
 「何の虫だか分かる?」
 「ちょっと待って。鑑識に昆虫がいるから…」
 検死官に呼び出された昆虫の鑑識課員は、猿の顔を一目見て即答した。
 「スズメバチだ。こいつに刺されると、ショック死する可能性も充分ある。近くに巣がないか調べてみよう」
 鑑識課員が羽を広げて飛び去るのを見送って、犬刑事は言った。
 「あたしが言うのも何だけど、ここの警察、変わり者が多いね」

 犬刑事は、いつものように這いつくばって、何か証拠品がないかと捜し回っている。すると、土間の片隅に爆ぜた栗が落ちていた。触ってみると、まだ温かい。犬刑事は囲炉裏の方を振り向いて、眉間に皺を寄せた。

 そのとき、電話が鳴った。部下の刑事が出て、犬刑事に受話器を差し出した。
 「あなたにです」
 「かみさんに、ここだと言っといたもんだから…」
 犬刑事は何やら小声で話し始めた。
 「はい、あたしだけど……。そんなこと……。えっ、今すぐにって……。はい、分かりましたよ」
 電話を切ると、部下の刑事が言った。
 「今の電話、奥さんですか?」
 「いや、かみさんからだよ。現場で拾い食いするんじゃないとか、今日はもう帰って来いとか好き勝手なこと言ってさ…」
 部下の刑事は信じられないという顔をしている。
 「まったく信じられないよ、まだ続きを考えてないなんてね」
 犬刑事が玄関先のうんこをひょいと飛び越えて帰って行くのを、部下の刑事は呆然と眺めている。

| コメント(4) | トラックバック(0)

 刑事は登場しても、まだ犯人が登場していない。それでも読者は犯人や動機や手口についてよく知っている。それがこの転倒ミステリの凄いところである。

  玄関先のうんこで滑って転倒死したかに見える猿の死体が持ち上げられ、運び出されようとしている。犬刑事は、猿の尻をくんくん嗅いでつぶやいた。
 「やっぱりね…」
 猿の尻には玄関先に落ちているのと同じ匂いのものがべったりと付着している。これは、滑って仰向けに転倒したことの裏付けになるだろう。犬刑事は、猿の尻の写真をもう一枚撮るように言って、現場から立ち去った。

 犬刑事が目撃者に質問している。
 「パーンという乾いた音がして、その後でドスンと鈍い音がしたんですね?」
 「それで、外を見たら、臼が猿に馬乗りになってました」
 「臼が馬乗り…」と、犬刑事はメモしている。
 「猿は、馬みたいに四つん這い?」
 「いや、仰向けで、臼の顔を引っ掻いてましたよ」
 「二人は何か言ってましたか?」
 「猿の方は『やめろ』とか『離せ』とか叫んでましたが、臼は何も言わずに凄んでました」
 「凄んでた?」
 「はい。一瞬、目が合ったけど、恐ろしい顔でした」
 「なるほどね」
 「それですぐに、猿を引きずって家の中に入って行きました」
 「猿はぐったりしてた?」
 「羽交い締めにされて、じたばたもがいてましたよ」
 「その後、玄関は開けたまま?」
 「ぴしゃりと閉められました」
 「誰が閉めたか見ましたか?」
 「もちろん。臼ですよ」
 「その一部始終を、二階の部屋から見てたんですね」
 「はい」
 「どんな風に見えるか確認したいんだけど、いいですか?」
 「どうぞ…。でもその前に、その足、きれいに拭いてくださいよ」

 犬刑事は目撃者の二階の部屋から、平屋建ての猿の家を見下ろした。屋根の上に足跡があった。ちょうど玄関の真上だ。
 「おーい、誰かいるかい?」
 猿の家から部下が出てきた。
 「何ですか、警部?」
 「屋根の上に足跡があるから調べといてよ!」
 部下は屋根を見上げた。
 「あー、それから、君…」
 「何ですか?」
 「そのうんこ、踏まないようにね!」
 部下は飛びすさった。

 酒場で臼が飲んでいると、犬刑事がやってきた。
 「あんた、デカだろ」
 「どうして分かったの?」
 「見りゃ分かるって。言っとくけど、俺はやってないぞ」
 「分かってるよ」
 「あんた、俺を疑ってないのか?」
 「それくらい、顔を見りゃ分かるよ」
 「冗談はよせよ」
 臼は笑ったが、犬刑事は真顔でこう言った。
 「引っかき傷がないからね」
 犬刑事はポケットから袋入りの菓子を取り出した。
 「これ、旨いよね」
 それは、“猿蟹印の柿の種”だった。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 犬刑事がポケットから出した“猿蟹印の柿の種”を見て、臼が過去を語り始める。それは、猿に殺された蟹のために栗・蜂・牛糞・臼が仇討ちをするという、日本の昔話「猿蟹合戦」そっくりの内容だった。ただし、蟹も猿も死なないところは「さるかにばなし」と同じだ。

 猿は蟹たちと仲直りをして、一緒に遊ぶようになり、やがてみんなで会社を興した。それが、知る人ぞ知る“猿蟹印の柿の種”の製造元である。この製品は一般の商店では購入できない。入手するには、おにぎりを製造元に持って行って物々交換するしかない。このとんでもない販売方法が話題となって、大ヒットした。これを思い付いたのは猿だった。

 おにぎりを原料にして柿の種を作り、柿の種をおにぎりと交換する。この繰り返しでは利益は出ないが、食うには困らなかった。ベンチャー企業というよりは遊びの延長だ。
 しかし、あるとき、おにぎりに毒物を混入する不届き者が現われた。この絶体絶命の危機を乗り越えられたのも猿のおかげだった。車で移動しながら、その場で作って交換するというアイディアだ。
 「早く芽を出せ柿の種…」という蟹の売り声のほかにも、おにぎりを臼に入れて猿が搗いたり、柿の種と一緒に金網の上に乗った栗が爆ぜたり、いきなり蜂が飛び出して待ってる客を意味もなく驚かせたりするパフォーマンスも大いに受けた。ちなみに、燃料には牛糞を乾燥させたものを使っていたが、このことを知る人はあまりいない。

 やってることは面白かったが、会社の経営は赤字続きだ。夢想家の猿と現実家の蟹は、よくそのことで対立したが、ほかのメンバーを交えて議論しているうちに、いつの間にやら馬鹿話になったりして、その中から新たなアイディアが出ることもあった。
 「現金が必要だったら、売っちゃえば?」という牛糞の一言で、置いてくれそうな商店をさがし歩くことになったり、「賞味期限切れ寸前のおにぎりと交換してもらおう」という栗の提案で、毎日コンビニ通いをしたりして、徐々に販路が拡大していった。

 その頃には蟹の子供たちも仕事を手伝えるようになっていたが、それでも生産が追い付かず、とうとう機械を使おうかという話になった。機械の導入に猿は最後まで反対してくれたが、結局、賛成多数で押し切られてしまった。

 蟹が引退して子供たちが経営に口を出すようになり、腰痛を隠して頑張っていた猿も現場から退いた。蜂と栗は何度も世代交代をした。今でも現場に残っている創業時のメンバーは臼だけになった。
 最近では、蟹たちが現場に顔を出すことも滅多になくなり、コストダウンのため派遣社員を雇うようになっている。一粒毎に微妙に異なる手作りの味を知っている古い顧客も少なくなってきた。他社のまねをして柿の種に豆類を混ぜたものや海苔巻きのあられと豆類だけという、もはや柿の種が一粒も入っていない商品まで作るようになってしまったことを、つい先日も、猿酒を飲みながら「これもまあ仕方がないか」と語り合ったりしたばかりだった。

 話を聞き終わって酒場から出て行く犬刑事に、臼はこう言った。
 「必ず犯人を見つけ出してくれよ」

| コメント(0) | トラックバック(1)

 酒場から出てきた犬刑事は、頭に手を当てて急に立ち止まった。
 「あっ、ひとつ忘れてた!」
 そして、くるりと身を翻して過去へと引き返した。

 行き当たりばったりに話を書いていると、うっかり書き忘れていた場面を後から挿入したくなることがある。それを何食わぬ顔で書き足してしまえるのは、この倒錯ミステリの便利なところである。

 犬刑事は、目撃者の話を聞いた後、“猿蟹印の柿の種”の製造元にやって来た。猿はこの会社の共同経営者の一員だという話だ。
 会社はまだ開いていた。この事実から、猿の死亡推定時刻は会社の就業時間内に設定されるのだろうと推理できる。

 オフィスの受け付けには乳牛が座ってMoreを吸っていた。
 「何か御用?」
 犬刑事は、笑みを浮かべながらバッジを見せ、用件を伝えた。

 応接室に通されて、部屋のあちこちを嗅ぎ回っていると、さっきの乳牛が緑茶と柿の種をテーブルの上に置いて行った。ソファーに飛び乗って柿の種をポリポリ食べていると、蟹が入って来た。
 「臼を訊問したのかね?」
 犬刑事は柿の種を喉につまらせて咽せた。
 「何をぐずぐずしてるんだ」
 犬刑事は目を白黒させながら緑茶を飲んでいる。
 「猿の様子を見に行った臼から話を聞いたが、状況からすると臼が怪しい」
 蟹は目の前で呑気に菓子を食い茶など飲んでいる犬に苛々しているようだ。
 「この私も容疑者なんだろう?」
 犬刑事は飲んでいた茶を吹き出した。

 「目撃者の証言によりますと…」
 犬刑事は手帳を見ながら蟹に説明している。
 「仰向けになってる猿に臼が馬乗りになり、そのあと暴れている猿を羽交い締めにして家の中へ引きずって行き、玄関をぴしゃりと閉めた、ということなんですが…」
 「やはり臼が犯人だったか」
 「いえ、まだ臼さんの話を伺ってないので…」
 「じゃあ、早く話を聞きに行けばいいだろう」
 「それが、臼さんの行方が分からなくて困ってるんです」
 「酒場に行ってみろ。臼は飲んだくれている筈だ」
 「それはどうも。大助かりです」
 犬刑事が出て行くと、蟹は溜め息をついた。やれやれ、世話の焼ける刑事だ。すると犬刑事が急に戻って来た。
 「あのー、うっかりお尋ねするのを忘れてました」
 「何だね?」
 「なぜ、猿さんは逃げなかったんでしょう?」
 「どういう意味だ?」
 「家の中に引きずり込まれるときは暴れてたんだから、臼が玄関を閉めようとして手を離した隙に、逃げようと思えば逃げられた筈なんです」
 「さあね…。それを調べるのが君の仕事だろう」
 「ごもっともです」
 犬刑事はすごすごと退散していった。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 犬刑事が応接室から出ると、受け付けの乳牛が帰り支度をしていた。
 「あのー、臼さんがよく行く酒場って、どこだか分かります?」
 「通り道だから、乗せてってあげるわよ」
 「じゃ、遠慮なく」
 そんなわけで、犬刑事は乳牛に乗って臼のいる酒場に向かうことになった。

 乳牛の背に揺られながら犬刑事が質問している。
 「猿さんは、どんな方でしたか」
 「そうねえ、次々に面白いことを考えつくアイディアマンって感じだったわね」
 「だれかに恨みを買うようなことは」
 「さあ…。蟹さんとはよく意見が衝突してたみたいだけど、恨むとか恨まれるとかいうのとは違うかも…」
 乳牛はしばらく黙っていたが、話を続けた。
 「実は最近、私も新商品の開発に関わってたんですよ」
 「ほほう。それはどんな商品ですか」
 「牛糞固形燃料」
 「牛糞?!」
 犬刑事は思わず飛び上がった。
 「そんなにびっくりしないでよ。昔は私の糞を燃料にして柿の種を焼いてたんだから」
 「なるほど、そうでしたか」
 「機械化されて、今ではガスとか電気とか使ってますけどね」
 酒場が見えてきた。
 「どうも、とても参考になるお話でした」
 「今の話は蟹さんには内緒よ」
 「これから会う臼さんには?」
 「あのひとは、もう知ってるから大丈夫よ」
 犬刑事が降りると、乳牛は“猿蟹印の柿の種”を一袋くれた。そして、猿の家のある方向へと歩いて行った。身寄りのない猿のために、これから葬儀の準備をするのだという話だった。

 犬刑事は、臼の話はもう聞いたから、このまま乳牛について行った方が良かったかなと思ったが、二つの場所に同時に存在できる設定はミステリでは禁じ手になっている筈なので、大人しく酒場に入って行った。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 犬刑事が酒場に入ると、臼が一人で飲んでいた。ここで以前と同じシーンを再現するのも芸がない。しかし、同じ場所・同じ時間に別の出来事が起きるのもミステリの世界では禁じられている筈だ。そこで、犬刑事は臼の話を聞き流しながら、これまでの話を頭の中で整理することにした。

 死亡推定時刻と死因については検死報告書待ちだ。玄関先に落ちていた糞と猿の体に付着していた糞の成分についても鑑識が調べている。玄関の上の屋根に残っていた足跡は臼の足と照合しなくてはならないが、これは後で臼に何か適当なものを踏んでもらえばいい。しかし、乳牛の糞をどうやって手に入れるかが問題だな。
 目撃者と蟹の話には疑わしい点が多いけれど、今のところ物証がない。もしも目撃者が嘘を吐いているとすると、臼の容疑は一応晴れる。しかし他方では、猿の引っ掻き傷がないことを理由に臼を容疑者から外すことはできなくなる。
 あと、栗と蜂の件もあったっけ…。しまった! 現場で拾った栗をポケットに入れたままだ。署に帰ったら忘れずに鑑識に渡さなくっちゃ…。
 少し頭がすっきりしたけれども、まだ何かもやもやとしている。まあ、最初は大体こんな感じだし、何か進展したときにまた考えりゃいいか。

 あれこれと考えごとをしているうちに、臼の話が終わった。犬刑事は礼を言って酒場を出ようとした。背後から「必ず犯人を見つけ出してくれよ」という臼の言葉が聞こえた。

 次の瞬間、犬刑事はミステリの掟から解放されて、くるりと振り返った。
 「そうそう、ここに来る途中、牛さんから聞いたんですけど…」
 すると、臼は立ち上がった。
 「そのことは、歩きながら話そう」

 犬刑事は、酒場から出てきた臼の足元を見て言った。
 「そのブーツ、変わってますね」
 「これは地下足袋という日本の履物だ」
 「ああ、ニンジャが履いてるやつですね」
 「ま、そんなもんだ」
 「ニンジャだったら、梯子がなくても屋根に飛び乗ったりできるんでしょうね」
 「何が言いたいんだ?」
 「いえ、猿さんの家の屋根に足跡があったのを、ふっと思い出しんで」
 「つまり、俺が屋根にいたと言いたいのか」
 「その反対です。あの足跡と一致しなければ、あなたの容疑は晴れるんですよ」
 犬刑事は、さっき考えていたことを口にするチャンスだと思った。
 「そのブーツの型をとらせてもらえると、ありがたいんですが…」
 「そう言われると、断るわけにはいかんな」
 臼は憮然としている。
 「それに、あなたはニンジャではない。梯子か何かがなければ屋根には上れません」
 「確かにそうだな」
 「あなたが現場に行ったとき、梯子か何かありましたか?」
 臼は立ち止まって、何かふっきれたように言った。
 「なかったよ」
 「玄関は閉まってましたか」
 「開けっ放しだったな。猿が倒れているのが見えたんで急いで駆け込んだんだ」
 「そのときは、もう…?」
 「息もしてなかったし、脈もなかった…」
 臼は、空を見上げながら苦しそうに言葉を絞り出した。
 「必死で、心臓マッサージをしたんだ…。だけど、駄目だった」
 「そうでしたか」
 「外へ出ようとしたら、向かいの家の男と目が合った」
 「二階の窓から見てた人ですね」
 「それで怖くなって、玄関を閉めて裏口から逃げてしまった」
 「よく話してくれました」
 「あんたは信じてくれるよな」
 「もちろんです。あとで正式な供述をしてくれますね?」
 「ああ。これでやっと、猿のやつに顔を会わせることができる」

 二人は猿の家の前までやって来た。立ち入り禁止のテープは撤去されていて、警官たちの姿ももうない。どうやら事故死として処理されているようだ。
 「それじゃ、私はこれから署に戻ります」
 臼は犬刑事に向かって御辞儀をして、猿の家に入って行った。

 署に戻った犬刑事は、ポケットから栗を取り出して鑑識係のところに持って行った。
 「これで、よし」
 しかし、牛糞固形燃料の件を聞きそびれたことには、全く気付いていないようだった。

| コメント(0) | トラックバック(0)

 紙コップを持った犬刑事が自分の机に戻って来た。机上には、報告書の束がいくつか乗っている。コーヒーを飲みながら報告書にざっと目を通す。特大の付箋に

要するに、スズメパチの毒によるショック死

と大きく書いてあるのは検死報告書だ。その下の報告書は鑑識からのもので、写真が二枚クリップで止めてある。裏にはそれぞれ別の筆跡で、

屋根の足跡:猿の足型と一致

スズメバチの巣:猿の家の軒下

と記入されていた。紙コップが空になると、犬刑事は写真をポケットに突っ込んで、猿の家へ向かった。

 猿の家では、既に葬儀の準備が始まっていた。開いたままの玄関から中を覗くと、蟹と臼が葬儀社の社員と何か打ち合わせをしている。裏へ回ると、縁側に座って例の細い紙巻き煙草を吸っている乳牛の姿が見えた。犬刑事は引き返して、目撃者の家に行った。

 目撃者の男は、犬刑事を大喜びで迎え入れた。
 「あの臼が、犯人なんでしょう。なぜ逮捕しないんですか?」
 「臼さんは犯人じゃないよ」
 「どうして?」
 「本人がそう言ったから」
 「それを信じたんですか!」
 「まあ、あんたの迷推理よりは信頼できるからね」
 「……」
 その後、目撃者は、実際に見聞きしたことだけを改めて証言した。それは、臼の証言を裏付ける内容だった。

 前足を窓枠に乗せて犬刑事が外を眺めている。
 「ここからは、猿さんの家の裏の方は見えないよね」
 「そうですね」
 「さっき、裏の方で牛さんが煙草を吸っていたよ」
 「何の話ですか?」
 「猿さんちに出入りしてた乳牛、知らないの?」
 「乳牛ですか…。見たことないなあ…」
 「そうか…。ということは…」
 犬刑事は、何やらぶつぶつつぶやき始めた。
 「お役に立てなくて、すみません」
 「いや、大いに参考になりましたよ」
 犬刑事は、何ごとか考えながら窓から離れて部屋を出ようとしたが、ふと、立ち止まった。
 「あんた、警察に通報した?」
 「いいえ」
 「そうだよね。じゃ、誰が通報したんだろう…」

 今さら、そんなこと言ってて、ほんとに大丈夫なのか、この刑事(というか、この話)?

| コメント(0) | トラックバック(0)

 葬儀社の社員の携帯が鳴った。社員は二言三言、言葉を交わして電話を切った。
 「受け渡しの準備が整ったそうです」
 臼が立ち上がるのを制して蟹が出て行った。
 「君たちはここに残ってくれ」
 蟹を乗せた遺体搬送車を見送って臼と牛が戻ると、家の中に犬刑事が座っていた。
 「蟹さんもずいぶんせっかちな方のようですね」
 臼と牛が顔を見合わせている。
 「あたしの上司もあんな感じですよ。署に帰ってデスクに着いた途端、『報告書はまだか』ってね…」
 「あんた、裏から入ったのか?」
 臼が尋ねると、犬刑事は頷いた。
 「表からだと、スパイに見つかっちゃいますから」
 「スパイ?」
 「例の目撃者ですよ。さっき会って話をしてきましたが、たぶん普段から猿さんを見張ってたんでしょう。もちろん蟹さんの指示で」
 犬刑事は、乳牛に向かってこう続けた。
 「あなたは、それを知ってた筈です。だから、ここへ来るときはいつも裏から入って、帰るときも裏から出ていた」
 「驚いたわね…」
 今度は、臼に向かって言った。
 「いいニュースもあります。猿さんの死因は蜂の毒でした」
 「そうだったのか」
 「それに、もうひとつ。屋根に付いてた足跡は猿さんの足と一致しました。これで臼さんの容疑はほとんど晴れることになります」
 臼は、溜め息を吐いた。
 「まだ完全には晴れていないわけだ…」
 「そうです。そこで、牛糞燃料のことを知りたいんです」
 「蟹さんが戻るまでの間に、なるべく詳しく教えてください」

 臼と牛の話を要約すると、以下のようになる。

 ある日、急に猿が牛糞固形燃料の商品化を思い立った。臼は、蟹が承知する筈がないからと言って反対したが、なぜか猿は頑固だった。柿の種を焼くときに牛糞固形燃料を使っていたときの経験から、匂いが気にならないことは分かっている。糞だから臭いはずだという世間一般のイメージを覆すためにはどうすればよいかと議論しているうちに臼も次第に乗り気になってきた。実験には牛も喜んで協力してくれた。外見を改良したり、芳香を加えたり、燃焼効率を高めたり、さらに付加価値を高めるアイディアを盛り込んでいった。
 試作品は、商品としての魅力が充分あるものになっていった。後は、蟹を説得するだけだ。蟹が反論しそうな点を徹底的に潰していって、最終的には、薪そっくりの外見で、煙がほとんど出ず、そのかわりに防虫効果のある微香が漂うというものになった。これを、屋外での使用に特化した商品として販売する。

 臼が、囲炉裏の中から薪を何本か拾い上げた。
 「これが、その試作品です」
 手渡された犬刑事は匂いを嗅いだ。
 「あのときも、この匂いがしていました。それで、分からなくなってしまいました」
 ポケットから写真を取り出して二人に見せた。
 「この家の軒下にこんな巣がありました。しかし、なぜ、猿さんはスズメバチに刺されたんでしょう?」
 そのとき、車の音が聞こえた。遺体搬送車が戻って来たようだ。犬刑事は写真をポケットに入れて、裏口から出て行った。

| コメント(0) | トラックバック(0)

エピローグ

 やっと仕事から解放された犬刑事が酒場に入ってきた。
 「遅かったじゃないか」
 持ち込んだ酒をカウンターで飲んでいる検死官が声をかけた。
 「参ったよ。まさかこんなオチだったとはね…」
 「報告書をちゃんと読まないから、そういうことになるんだ」
 検死官の隣の席に犬刑事が飛び乗ると、店の奥から店主が現われた。
 「どうだい、月末までにエピローグを書いたぞ」
 店主は犬刑事の大好物の蓋を開けた。
 「約束通り、このハーゲンダッツは俺がいただくよ」
 「そんな約束してたっけ?」
 「とぼけたって駄目だよ。事件の前に、ここで打ち合わせをしたときに…」
 「なるほどね、そういうことになってるんだ」
 「何なら、この後にプロローグを書こうか?」
 「いいから、それ、早く食べてしまいなよ」

 こうして、一つの事件が残念な結末を迎えてしまったらしい。結末を省略してエピローグを書いてしまうところが、この馬鹿ミステリの馬鹿なところである。重要な部分を太字にして、もう一度書いておく。

結末を省略してエピローグを書いてしまうところが、この馬鹿ミステリの馬鹿なところである。

 念のために言っておくが、「省略して」というのは「後回しにして」という意味ではない。完璧な結末ができあがっているのに、敢えてそれを書かないのだ。

 つくづく思う。本当に馬鹿な話だ。

| コメント(0) | トラックバック(0)

カレンダー

<   2009年8月   >
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Twitter

Powered by Movable Type 4.261

このページについて

このページには、2009年8月に書かれたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブは2009年7月です。

次のアーカイブは2009年9月です。

最近の記事はメインページで、過去の記事はアーカイブで閲覧できます。

最近のコメント