カテゴリ「法螺話」の記事 (6)

 ジョージ・ワシントンが少年だったときの話。ある偉人の伝記を読んで感銘を受けたジョージは、自分も何かインパクトのあるエピソードを作っておこうと考えた。そして、父親が大切にしている桜の木とかいうものを切り倒しておいて、後で正直に告白するという筋書きを思いついた。

 こっそり斧を持ち出してみたものの、どれが桜なのかが分からない。これは困ったなあと、庭のあちこちを歩きながら思案しているうちに、持っていた斧をうっかり池の中に落としてしまった。

 すると、池の中から女神が現われて、こう言った。
 「あなたが落としたのは、金の斧ですか、銀の斧ですか、それとも鉄の斧ですか?」

 ジョージは、これはどこかで聞いたことのある話だと思った。欲張って嘘を吐くと何も返してもらえず、正直に答えれば金の斧がもらえるのだ。しかし、金の斧では桜の木を切り倒せない。なんとかして鉄の斧を取り返す方法はないものだろうかと考えてみたけれど、妙案が浮かばない。

 そこで、ジョージは、この経緯を洗いざらい女神に打ち明けてみた。

 ジョージの話を聞いた女神は、にっこりと微笑んで、こう言った。
 「よく正直に話しましたね。今日は特別にプラチナの斧をあげましょう」

 こうして、プラチナの斧を手に入れたジョージ少年は、これでやっと桜の木を切り倒せるぞと思った。しかし、どれが桜の木なのやら、さっぱり分からない。仕方がないので、何も切らずに家に帰った。

 斧が別の物と入れ代わっているのが見つかってから言い訳するよりも、進んで告白した方がいいだろう。鉄の斧をプラチナの斧と交換したのだから、褒められることはあっても叱られることはないはずだ。ジョージはそのように考えた。

 その夜、ジョージはプラチナの斧を父に見せ、今日のできことを正直に話した。すると、ジョージの父は、激怒した。
 「この大馬鹿者! 桜の木なんか、このあたりに一本も生えておらんぞ! 嘘を吐くなら、もっと巧い嘘を考えろ!」

 ジョージ・ワシントンの生家には、激昂した父親がプラチナの斧を振り回して付けた傷が、今でも残っているという。

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 そろそろ引き上げようかと思っていると、奥の席にいた顔なじみが声をかけてきた。
 「イッパイ、つきあってくれないかい?」
 彼は返事を待たず、隣に移ってきた。
 「じゃあ、イッパイだけ」
 彼は内ポケットから取り出した物を、私のコースターの横に置いた。
 「うちのフルいショコのナカにあった」
 薄い合成樹脂製のケースは傷だらけで、罅割れもある。
 「ナンだとオモう?」
 光沢のある円盤が入っている。再生できる機械はないはずだ。
 「CD-ROMだな。どこかのセイケイのドラマでもハイってたのか?」
 「カンジだよ」
 「カンジだって?」
 「ひとつひとつのモジにイミがあるという、あのカンジだ」
 「しかし、それは…」
 「おまけにゴセンゾのニッキもハイってた。もちろんカンジをツカってカいてある」
 他の客はもういない。どうやら、彼の法螺話に最後まで付き合うしかなさそうだ。新しいグラスに少し口をつけると、彼は話し始めた。

 彼の御先祖の日記によると、漢字という文字が急に使われなくなったのは、インフルという疫病のせいだという。当時は、その疫病が数年おきに世界中で大流行して、大勢の死者が出ていたそうだ。
 ある年に流行した疫病は、毒性がなくて自覚症状もなく、死者は一人も出なかった。これは後になって分かったことだが、実は潜伏期が異常に長かったため感染したことに気付かなかっただけで、気付いたときには全人類が感染していた。
 最初に発症したのは日本人だった。そして、その症状は、漢字の読み書きが全く出来なくなるというものだった。このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡ったが、すぐにジャパニーズ・ジョークとして片付けられた。たまたまその日が4月1日だったからだ。

 「ちょっとマってくれ」と私が口をはさむと、彼は不愉快そうな表情を浮かべた。
 「ナンだよ」
 「キョウはフルいレキホウでいうと、ナンガツナンニチだったかな」
 「よくワからんけど、ゴガツのチュージュンぐらいだろう」
 「そうか。またカツがれてるワケじゃないんだよな?」と、私が念を押すと、彼は愉快そうな顔になった。
 「エイプリル・フールというのは、イチネンにイッカイしかないよ」

 ところが実際は、その一日だけで世界中の感染者のほぼ全員が発症していた。漢字が使えなくなる症状だから、いまだに漢字を使っている日本人だけが自覚できたわけだ。日本人はパニックに陥った。

 翌日には、このニュースが再び世界を駆け巡って、「日本人は文字が見えなくなったそうだ」、「本を開くとどのページも白紙に見えるらしい」などというデマが広まり、いつの間にか「白紙病」という病名が付けられて、これが定着してしまった。
 もちろん、本が白紙に見えるということはなく、漢字の形はしっかり見えている。見えるけれども文字としては認識できなくなっているだけだ。彼の御先祖の言葉を借りると「漢字の部分だけが、まるで未知の外国語の文字のように、意味不明の図形に見える」ということだ。

 最初はパニックになっていた日本人も、漢字以外の文字なら読み書きできることから、次第に落ち着きを取り戻して、しばらくは漢字を使わない表記法でやり過ごすことにした。
 それで、日常生活に大きな支障がないことに気付いた日本人は、症状がおさまった後も、わざわざ漢字なんていう厄介な文字を使わくなったということだ。

 話を聞きおわった私は、一つだけ腑に落ちない点があったので、彼に尋ねた。
 「しかし、キミのゴセンゾは、そのニッキをカくときに、どうやってカンジをツカうことができたのかい?」
 「ああ、それはオレもギモンにオモった。それで、ほかのブンショをあちこちサガしてみて…」
 彼は、ここでグラスを空にした。
 「トウジはカンチョクという、あまりヒトにシられていないニュウリョクホウシキがあったことがワカったんだ」
 「ナンだ、それは?」
 こうなったら、もう一杯、付き合うしかなさそうだ。


〔転載者註〕会話文以外は、失われた漢字交じりの表記に改めました。

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 鹿の角を生やした馬が「こりゃあ、たまりません」と、禁太郎飴をガリガリと齧り、禁太郎が「でしょでしょ。今回は角砂糖ベースで、ほっぺたのところにはニンジンが入っているんだよ」と説明して、ケシカラン鹿を退治する旅に、鹿の角を生やした馬が加わった。

 馬の話では、その後、突然いなくなってしまった飼い主一家の行方を捜しているのだという。退屈していた一行が、その話で大ウケしたのに気をよくした馬が、調子に乗って馬鹿話をしながら、西へ西へと歩き続ける。熊の背には禁太郎、馬の背には猿がまたがっている。

――鹿の角を生やした馬は、こう語った。

 昔、ある国に、わがままな殿様がいたそうです。この殿様は、他人の言うことに耳を貸さず、何でもかんでも自分の思い通りに決めていました。

 ある日のことです。いつの間にか、殿様が行方知れずになりました。町や村の人々の暮らしぶりには無関心な殿様でしたから、お忍びで城の外に出るようなことは間違ってもするはずがありません。家臣たちは、いちおう城内を捜してみましたが、どこにも殿様は見つかりませんでした。

 実は、城中の庭の片隅に誰が掘ったものやら分からない古井戸があって、殿様はその中に落ちていたのです。

 三日後になって、やっと井戸から助け出された殿様は、耳だけでなく、全身が馬の姿になっていたということです。その古井戸の中で三日三晩を過ごした殿様は、地の底でつながっている井戸の奥から、町や村の人々の声が伝わってくるのを聞いて、これまで自分が人々の暮らしのことを何も知らなかったことを思い知らされたといいます。殿様は、これは罰があたったのだと反省し、それから後は、町や村の人々の話をよく聞くようになったという話です。

――ここで、馬の背に乗っている猿が尋ねた。

 「殿様は、その後もずっと馬の姿のままだったの?」
 すると、馬はこう答えた。
 「そうですよ」
 猿は、首を傾げている。何か納得できないことがあるようだ。
 「町や村の人たちは、どうしてその馬が殿様だと分かったのかな?」
 それは、もっともな疑問だ。さあ、どうする、馬?

――馬は、こう話を続けた。

 実は、殿様が行方知れずになったとき、城内の人たちは、ほとんど誰も心配なんかしていなかったのです。ただ一人だけ、殿様のことを本当に心配している男がいました。それは、殿様の馬の世話をしていた馬丁です。この馬丁の父親も先代の殿様の馬の世話係をしていました。今の殿様が子どもだった頃、この馬丁も子どもでしたので、よく一緒に遊んでいたのです。「竹馬の友」というやつですね。

 あるとき、若様が「かくれんぼをするぞ。そちが鬼じゃ」と言って、どこかへ行ってしまいました。子どものときからわがままだったんですね。ところが、さんざん捜し回っても若様が見つかりません。日が暮れて、どうしようもなくなって、べそをかきながら父親のいる馬小屋に行きました。すると父親は、そのことをすぐに先代の殿様に報告しました。

 当時の殿様は、わがままなところはありましたが、今の殿様とは違って、家臣たちからの信望があったのです。その話を聞いた殿様は、「そちの息子を連れてまいれ」と言いました。
 言われた通りに馬丁が息子を連れてくると、殿様はにっこり笑って「余と一緒に捜しに行こう」と言って、馬丁の息子の手を引いて、若様がかくれんぼをしていた庭に下りました。「ここかな? いや、ここにはおらぬぞ…。こっちかな? いや、こっちにもおらぬぞ…」などと言いながら、鶏小屋の裏の方へと導いていきました。そして、そこに、あの古井戸があったのです。

 殿様が行方知れずになったと聞いて、そのことを思い出した馬丁は、すぐに鶏小屋の裏へ行って、古井戸を覗いてみました。すると、やはり殿様がいました。馬丁が声をかけると、殿様は「遅いじゃないか」と言いました。
 それを聞いた馬丁は、昔、井戸の中から投げつけられた若様の言葉をありありと思い出しました。そこで、そのあとに投げつけられたもう一言を、井戸の中の殿様に投げ返してやりました。
 「もう遊んでやらんぞ」
 そして、三日間、誰にも古井戸の底に殿様がいることを話しませんでした。

 三日後に、古井戸の中から助け出された殿様が馬の姿になっていたことに、馬丁はたいそう驚きました。しきりに「罰が当たったのじゃ」と言って反省している殿様を見ると、少しかわいそうな気もしてきました。そこへ、先代の殿様がやって来て、こう言いました。
 「ちょうどよいではないか。町や村に用事のあるときは、この馬に乗って参れ。こやつの衣を着て行くがよい」

 こうして、殿様の格好をした馬丁が、馬になった殿様にまたがって、町や村に出て行くようになりました。人々は、馬に乗っているのが馬丁だとは知らず、ずいぶん気さくな殿様だなと思って、何やかやと話しかけるようになりました。もちろん、もう井戸の底に向かって不平や不満を叫ぶことはありません。

 このことから、「馬子にも衣装」という言葉ができたそうです。

――ここまで話した馬は、得意げに鼻を膨らませた。

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 その後もジョナサンは馬人の夢を繰り返し何度も見た。最後に見た悪夢のような奇怪な現象が起きることはなくなったが、ジョナサンにとっては、むしろ現実の方が悪夢だったのかもしれない。晩年のジョナサンはよく馬の嘶きのような鼾をかいていたというが、おそらくそれは、夢の中で馬人たちと楽しく語り合っていたのが寝言となっていたものと思われる。

 ジョナサンは子供のころに見た無邪気な夢の続きをたまに見ることがあった。年を取るにつれて夢の内容は多少変化していったが、ジョナサンの空想力は時間や空間を軽々と飛び越えるのだった。自由自在に空を飛び、時を越え、宇宙を駆け巡っていたが、ジョナサンは決してそのことを誰にも話さなかった。

 火星に二個の衛星があることを、その発見以前にジョナサンが知っていたことは、長年のあいだ謎だと考えられてきたけれども、それらの衛星が実はジョナサンの空想の産物であるということを否定する材料を、天文学者たちは未だに発見していない(少なくとも公式には発表していない)。

 今からちょうど三百年前(1709年)にジョナサンが日本を訪れていたことを知る人は少ないが、長崎県立美術博物館には「ジョナサン・スウィフトが踏むことを免除されたキリスト像」(一般には『青銅のピエタ』と呼ばれる)が所蔵されていた。これは南蛮鋳物師の萩原裕佐によって製作されたものであり、美術的にも歴史的にも価値のある作品だった。しかし、2005年に同館が長崎県美術館と長崎歴史文化博物館に分割された際、「出島に行こうかそれとも立山に残ろうか」と思案橋あたりで悩んでいる姿が目撃されたのを最後に、行方不明になってしまったのは、返す返すも残念なことである。

 行方不明といえば、ジョナサンが眠るときに身につけていたドングリが誰の手に渡ったのかも分からない。どこかのオークションに出品されるのではないかと期待されているようだが、ジョナサンが嫌っていたヤフーではないことを願うばかりだ。

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 「何? 原典が届くまで何日か待ってくれじゃと?」

――しかし、ホラー吹き男爵は「事情が変わった」なんて言うこともなく、お構いなしに語り始めた。

耳でか裕二

 昔、耳のでかい裕二という男がおった。でかいのは耳だけではなくて、鼻の穴もでかかったそうじゃ。それだけなら別にどうということもない、ちょっと野生味のある顔をした見ようによってはなかなかの好青年だったのじゃが、言うことが妙にでかいということでな。それを物真似の種にして人々を笑わせている芸人がおったそうじゃ。ところがそれを知った裕二という男が本気で怒っておったという噂じゃが、態度がでかい割にケツの穴は小さかったということじゃな。

――ジョナサンが黙っていると、男爵はこう尋ねた。

 「どうした。この話、あまり恐くなかったか? じゃ、玉なし裕二の話をしてやろうか…」
 「いえ、その話も飽きるほど聞いているので、もう結構です。それに、あんまり恐くもないし…」
 「そうか。それじゃ、口曲がり太郎の話なんて、どうじゃろか?」
 「恐くもなければ面白くもないですね」
 「じゃ、腹切り由紀夫はどうじゃ? これは恐かろう」
 「えーっと。この先どうなるのかまだ分かりませんが、どっちにしろ恐くはないです」
 「ふん、うまく躱しおったな。それなら、靴下なし純一の話をしようか。靴下はナシでも息子より年下はアリという男でな…」
 「そんな話はもうたくさんです」
 「なんじゃ、ゴシップ・ホラーはお好みではなかったか」
 「私が言っているのは、そういうことではなくて」
 「分かっておる。一応、タイトルに合わせて暴言を吐いてみようとしただけじゃ」

 「ところで、伯爵は、どこにおいでなのでしょうか」
 「おっと、いけない。つい話に夢中になって、すっかり忘れておった。伯爵は、急用で外出しなきゃならんことになったので、くれぐれもジョナサン様によろしくと、このように仰っておられた」
 「急用で外出されたのですか。それで、伯爵がお戻りになるのは?」
 「さあ。そこまでは聞いておらんが…」

 どうもこの男爵の話は信用できないけれども、「伯爵が自由に見てもよいと仰っていた」と太鼓判を捺すので、ジョナサンは伯爵の書斎に入り、書棚に並んだ蔵書を眺めている。有り難いことに、どの本も英語で書かれていた。

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 ロンドンに戻ったジョナサンは、ミナと結婚した。ジョナサンとミナの希望により、教会にはヘルシング教授と、ミナの幼なじみのルーシーと、その婚約者のアーサーが参列しただけで、派手なパーティなどは一切しなかったという。

 その後、ジョナサン、ミナ、ルーシー、アーサーの四人は、東ヨーロッパへの旅をした。ビストリッツの宿屋に到着したのは、あれからちょうど一年経った五月四日の夜だった。宿屋の壁には、こんなポスターが貼ってあった。

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