最近ツイッターというものを始めたばかり(という設定)なので、あまり偉そうなことは書けないんですが、よく読みもせずに反射的に書いている人が多いのに驚いています。そりゃまあ、「書いている」んじゃなくて「呟いている」んだから、あまりカタイことを言うなよと言われてしまえば、それまでなんですけれども。

 本当はこれ、〔別の人〕が〔別のブログ〕に書くはずだったんですよ。ところが、勢いにまかせてタイトルを書いたところ、なぜか五・七・五になってしまって「こんなタイトルじゃ書けん。後はお前が適当にやれ」というようなことになってしまいました。そんなわけで、面倒なので手短に書いてしまいます。〔別の人〕に書かせたら、これの8~64倍程度の分量になるところでした。

 〔別の人〕もかなり短気ですが、それでも何かについてコメントするときは、一応ざっと確認しているようです。先週は記事のタイトルだけが拡散してるが音声が見つからんとか言ってたかと思うと、今週は例の法案がなかなか出て来ないなどと騒いでいました。要するに「ちゃんと読んだり聞いたり探したりしてから書いてるのか?」と言いたいようです。

 なんだ、それが結論か。それなら本文なんか読まなくてもいいじゃないか。それは正しい。しかし間違ってもいる。そして実は、結論なんてものはここにはありません。

 

 今回も思い付くままに勢いで書いております。

 せっかく「一定のメドがついたら辞める」と言ってるんだから、「早くメドをつけろ」と尻を叩くなりなんなりすりゃよさそうなもんですが、なぜか辞任時期の予想だとか大連立するのしないので、ああでもないこうでもないと盛り上がっているようです。こんな人たちに被災地の復興やその他もろもろの山積みになっている課題が迅速に解決できるのかどうか…。

 まさか、「成り行きでこうなってしまったからには出たとこ勝負で…」なんて考えじゃないでしょうけど、現状に問題があるというのなら、それをどう解決していくのかという具体的な方法について、是非オープンな場で議論してほしいところです。

 ところで、大連立を煽っているのは一体誰なのかという点も観察しておいた方がいいと思いますよ。法案が通りやすい状況になった時に誰が一番喜ぶのかと考えれば、大体想像がつくでしょう。残念ながらマスコミも一緒になって煽っているようなので、チェック機能は期待できません。

 今のところ曖昧な情報ばかりで五里霧中ですが、「霧が晴れたら山の上でした」なんてオチでは笑えませんよ、ホントに。

 

 まったくもう、あの人たちが何を考えて何をやってるのか僕には全然分かりません。

 後になってああだこうだと言うくらいなら、不信任案に賛成しておけばよかったんだよな。そうすれば「可決されたら解散する」と言っていた菅首相を追い詰めることができた。(いくらなんでも今の状況で解散なんかできるわけないけれども)万が一解散したら「史上最低の首相だ」と罵ることもできるし、解散しなくても「ペテン師」と言える。どちらにしても菅内閣は確実に終るでしょ。

 では、なぜ直前になって腰が引けたのか? そこが問題だと思うんだけど、何だかもうそのへんが、またしても「言った・言わない」の世界だからね。あの中に次の首相になってもきっちり仕事ができそうな人が見当たらないのが大問題。

 不信任案否決で政治空白が最小限にとどめられたんだから、今後は具体的な政策に関する議論を真面目にやってほしいと思う次第。

 
 しばらくサボっている間に、世の中が大変なことになっておりますが、慌てず騒がず冷静に考えてみました。

 予想外の事態が起きたとき、それは「想定外だった」というほかない。何事についてもいつも最悪の事態を考えて生きようとすると、人間はおそらくビョーキになる。これまで、大地震も津波も原発事故も、たいていの人がある程度のことは予想していたし、それなりの対策を立てて「まあこれくらいやっておけばたぶん大丈夫だろう」と思ってきた。しかし、それが過信だったことが明らかになった。「その程度の対策では不充分だ」と主張していた一部の人たちが「だから言ったじゃないか」と言っても後の祭。ざっと、これが今の状況ですね。

 さて、これからどうするか。これほどのことが起きて、すぐにまた同じような失敗をしてしまったら、そりゃアホすぎるだろう。しかし、今すぐに完璧な対策を立てることも現実的には無理だ。適当なところでバランスをとった妥協点を見いだすべきだ。あまり感情的にならないず、落ちついて議論した方がいい。ちなみに僕は、時間をかけても結局怒鳴り合いに終ってしまうようなテレビ番組にはあまり期待していないし、引用を重ねてどんどん飛び火するようなネット上での論争にも興味はない。

 悪いことばかりでもない。今まで目に見えなかったものが見えるようになったのは良いことだ。現代の文明社会が、案外薄っぺらいものの上に成り立っていたのだという事実が明るみに出ただけでも、大きな前進だと思う。
 

 そんな感じで、11月に入って、そろそろ暮れの大掃除の準備を今のうちから始めておかなければと思う今日このごろ。この散らかった状態からいきなり大掃除なんてできないんで。

 そういえば、最近ブログの更新をしてなかったなと、ふと思い出して、とりあえず模様替えをしてみました。部屋もこんなふうに簡単に模様替えできればいいのですが…。

 

 同じ邪魔者でも、月と雲では月とスッポンというか雲泥の差というか…。

 無事に見ることができるといいですね。嵐で遭難して記憶喪失になったりする人が出ないことを、太陽の塔に祈りたいと思います。

 

 まつりごととはいうものの、いつ解散するかとか何解散と呼ぶかなんていう中身のないことばかり話題にしているのを見ると、うんざりしてきますね。

これだけは 移植できない ノーの意思

 どうやら参議院でも可決されたようですけど、いろんな立場の人がそれぞれ意見を持っている問題について、十分に議論されたかどうかが気になります。臓器を提供したくない本人や家族が拒否できるのだから、一応歯止めはかかっているように見えます。
 しかし、「脳死を一般に人の死と位置づける」という点には、今後、いろんな問題を生じる恐れがあるでしょう。仮に、脳死状態の人がいても家族の同意がなければ「死んでいる」とは見なされないとなると、身寄りのない人が脳死状態になったときは誰が判断するのか。あるいは、脳死状態になった脳を治療できる可能性が将来にわたって皆無だと断定できるのか。
 法律が成立しても、まだ議論は続けられると思います。自分(の脳と脳以外の体)が生きているうちに自分(の脳と脳以外の体)で考えましょう。

 

 そんなことを言ってる人は、自分の“顔”だけでは負けると思っているのでしょうか。それとも、“カオナシ”なんでしょうか? ま、くだらないので、次に行きましょう。

読まずとも 18ヶ所の 類似点

 海賊盤じゃなくて、類似作ですよ、類似作。そんなので損害賠償訴訟を起こすとか何とか言っているのだから、類似作と同レベルの作品だと、自ら認めているようなものですね。類似作の作者も、これはパロディだと堂々と胸をはってりゃいいのに、読んだこともなかったとか騒ぎになってから読んだが背景が違うとか言い訳をしているのがみっともない。あれだけ話題になってる作品はわざわざ読まなくても簡単にパクれます。どっちもどっちですね。じゃ、次。

死んでるの? いや生きてるの? どっちなの?

 衆議院を通過した例のA案、どうなってるんでしょうか。あまり大きく報じられていませんが、人の生死より党の生死の方が重要なんですかね。党のトップが脳死状態にならないことを祈るばかりです。じゃ、また来週。

 

 固有名詞を入れなくても、まだストレート過ぎる感もありますが、こんなのにまんまと引っかかる人がいるのも面白いなと。

 そんなわけで、今回は何でも宣伝に利用してしまうことについて、思いつくままに書いてみます。

やさしげに 不安を煽る 虫眼鏡

 商品名は書きませんが、これはうまいところに目をつけたなと感心しました。蚊の口をクローズアップすると、注射針になっている。そして、「同じ針で違う人の血を吸います。不衛生/嫌ですよね」なんて言われると、何だか急にそんな気がしてくるわけで、実にうまいCMです。しかも、殺虫剤ではなく、虫よけスプレーだから、蚊には優しい。何といっても、蟻の巣を全滅させる商品より、桁違いに優しいわけです。
 しかし、よく考えてみると、この視点には、空恐ろしいところがあります。いつの間にか、嫌われている対象が蚊から不特定の他人にすりかわっているのです。根本的な問題は何も解決できないけれど、とりあえず自分(の家族)だけ無事ならいい、そんな風潮に乗ってやろう(仮にそんな風潮がなくても煽ってやろう)という魂胆が、何よりも恐いと思います。

 あれー、もう何も思い付きませんよ。そんなわけで、今回はここまで。

 

 いきなり解説しなきゃ(解説しても)よく分からない川柳を書いてしまってすみません。一週間考えてこれだったら、もうやめた方がいいかもしれませんね。

 解説しながら徐々に本題に入って行きます。「就職活動」を略して「就活」、「結婚活動」を略して「婚活」と言うようですが、僕はこの言葉をあまり肯定的にはとらえきれないのです。やってる本人にとっては切実なことなのでしょうが、何か人並みに活動ををやらねばならないと思い込んでいるような気配を感じてしまうのです。

 横並びの競争意識。勝ち組に入るために、最善とされている方法に沿って努力する。それを当然のこととして受け入れられる人は、真剣にやっている。そうでもない人は疑問に思いつつ、しかしやらないでいるのも不安なので一応やっている。そして、勝ち組に入ってしまえば、それまでの活動はめでたく終了する。そういう共通のパターンが見えてくるのです。このパターンは、どこかで見たことがありますね。

偏差値を 全員上げると 塾が言う

 そうです、「受験勉強」です。これについては、またいつか、詳しく考えたいと思います。

 今回は、このパターンにあてはまる別の活動について考えてみます。もう、そろそろ水面下では動き始めていると思いますが、「当選活動」(略して『選活』)です。

やかましく 連呼する名に 惑わされ

 普通の「選挙運動」や「政治活動」という言葉を使わずに、「当選活動」という言葉を使ったのには理由があります。その理由とは、略して「選活」になるという、ただそれだけのことです。この言葉を使うと、本当に意味のあることかどうか分からないけれど、競争相手がやってるから一応やっとこうという、「就活」や「婚活」に共通するパターンが見えてくると思うのです。

 選ぶ側にも責任があります。どうでもいいことを一所懸命にやっているのをプラスに評価する人がいる限り、その方法が実際に有効だということになってしまうからです。

拘束を 外せばみんな 無党派層

 先日(2009/06/18)、「脳死は人の死である」とする臓器移植法改正案(A案)が衆院本会議で可決されました。この法案の内容については慎重に議論すべきですが、ここでは、党議拘束について考えてみます。

 党議拘束をしなかった政党に属する議員は、各自の判断で賛成/反対の票を投じました。同じ政党の議員でも、賛成と反対に割れたというニュースを見た人も多いでしょう。そんなことをわざわざニュースで言うのは、普段は党議拘束に従って投票しているからですね。たまに党議拘束に従わない議員がいると、造反などと言われて問題視されることからも、普通は党議拘束に従っているのだということが分かります。

 つまり、国会でどのような法案が可決されるのかは、党議拘束に大きく影響されているわけです。どの党がどのような法案に賛成するのかが事前に分かっていればいいのですが、マニュフェストに掲げてある言葉には「選活」のきつい匂いが染み込んでいます。

 世襲問題を争点にしている政党もあるようですが、それよりも「党議拘束の撤廃」をマニュフェストに掲げ、国会では議員個人の判断で投票するようにしてくれた方が、有権者には有益なのではないかと思います。党議拘束が撤廃されれば、“ねじれ国会”も解消するでしょう。

 

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